来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
敬老の日
今日は「敬老の日」。私も先日74歳になった。しかしわが家族は、老人になったので敬わって「くれそう」もないし、敬って「もらいたい」とも思わない。ウチの学校で講師の先生で似た年齢の人がいるが、それほど年寄りになったイメージはない。生徒たちもそれほど「敬老精神」はもっていないのではないか。
何か意味のある本でも読もうか、とコーチャン◎◎に行った。日野原重明さんの「いのちを育(はぐく)む」を買った。日野原さんは10月4日で百歳になるという。今も元気で活躍されている。この本の中で、75歳をもって新しい意味の「老人」にしたらいいと言っている。それはともかくとして…。
私も「元気の秘けつは?」と聞かれることもあるが、自分でもよく分からない。あと10年ぐらいたって元気だったら、その秘けつを考えてみたい。
私の好きな人に孔子と親鸞がいる。共に長寿だった。孔子は、今から2500年ほど前に72歳まで生き、親鸞は、750年前90歳まで生きた。
孔子は「七〇にして己の欲するところに従えど矩(のり)をこえず」と自省した。好きなことをやっているがハメを外さない、というような意味だろう。このころの「矩」(ハメ)が今のそれと比べてどうなのか、は措くとして、今の年齢と比べるとどういうことになるのか。
今平均寿命が80歳で当時が50歳とすれば(実際はもっと短かっただろうが)、当時の70歳は今でいえば100歳、親鸞の90歳は今に当てはめると140歳になる。
そういうわけで「敬老」される段階でもない。いろいろ考えなければならないことがヤマほどある。
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