「自分らしく」っていうけれど

今日の毎日新聞。香山リカさんが「ココロの万華鏡」というコラム欄で「誰もが『自分らしく』」というタイトルで書いている。タイトルどおり、誰もが自分らしく生きることができるように、と。例えば「一番良いのは、他人にどう言われようと気にせず、『これが自分らしさ』と考えたらその通り実行することだろう。…着たいものを着て、食べたいものを食べて、好きなものは堂々と『これが好き』という」。… 誰もが「自分らしく生きられるようにするために。私たちも気をつけるべきことがある。… 相手の立場に自分を置いて考え、それから言葉にすることだ」。

しばしばこのような表現で「自由な生き方」の意味を説明される。そしてそれはそれで間違いでもないし、みんなが「オレはこれまでもこれからも『オレらしく生きてきた』と言えるように生きればいいのだろう。

しかし具体的に考えたとき、この「自分らしく生きよう」という言葉は、どういう生き方を主張しているのだろう、と考える。「好きなように生きる」ということか、「しかしそうするにしてはカネがかかるだろう」、「親に心配をかけるのでは」。社会的なルール(法律とか慣習とか、その他「一般常識」とか)の縛りもあるだろう。

80数年間生きてきて、他人から「あんたはこれまで『自分らしく生きてきた』と他人に誇れるか?」と聞かれたとき、特別に「誇る」ことではないが、「オレはオレなりに真面目に世のため人のためになりながら生きてきたし、後悔はしていない」程度のことは答えることができる。それでいいのか?
そういう答えが「自分らしき生きてきた」説明なのだろうか。

では、その自分の生きてきた人生をベースに、他人に対して「自分らしく生きるのだ」と言ったとき、具体的にどういう例示をすればいいのいだろう、と考える。
多分、いろいろなしがらみ(親や周りからの希望)などに縛られて自分が元気に自分の好きなことができないことを、ガンバレという意味で「自分らしく生きることだ」というのかも。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
«  閑話休題 … ... 「自分らしく... »