来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
中国の経済は資本主義そのもの、「中国的社会主義」と言えるのだろうか
昨日のNHK、「中国の『改革開放』を支えた日本人」を見た。文化革命後の中国経済の再建を支えたのは日本の新日本製鐵をはじめとする日本企業だったし、この日中の経済交流を促したのは中国共産党の指導部だった。
日本の関係者は、1981年以来の日本に対中国侵略の歴史を常に背景に持ちながら、その歴史への償いの気持ちをもちながら、「信用」という経済交流の原理を貫きながら支援してきたという。それは「社会主義経済ではなくまさに資本主義の原理・方法」だったという。
しかし中国は憲法で「社会主義」を国家の骨格にしている。市場経済、改革開放政策を原理とする資本主義的特徴を「中国的特色をもつ社会主義建設」」としている。
このテレビを見ながら中国はどこにむかうのか、を考えた。
世界史の教訓から言えば、貧富の格差という矛盾をもちながらも。資本主義の発展は人権の尊重、民主主義、個人主義とうらはらの関係になっている。中国が今後資本主義的な経済(これを中国的社会主義と言おうと)を推進すれば、必ず人権尊重、民主主義、個人主義の保障を求められるだろう。そういう必然の流れの中で「中国共産党の独裁」は崩壊せざるを得ないのではないだろうか。
かつての東ヨーロッパの動きはその先駆けといえないだろうか。
(なおこの点でこのブログの18.9.19を参照いただきたい)。
日本の関係者は、1981年以来の日本に対中国侵略の歴史を常に背景に持ちながら、その歴史への償いの気持ちをもちながら、「信用」という経済交流の原理を貫きながら支援してきたという。それは「社会主義経済ではなくまさに資本主義の原理・方法」だったという。
しかし中国は憲法で「社会主義」を国家の骨格にしている。市場経済、改革開放政策を原理とする資本主義的特徴を「中国的特色をもつ社会主義建設」」としている。
このテレビを見ながら中国はどこにむかうのか、を考えた。
世界史の教訓から言えば、貧富の格差という矛盾をもちながらも。資本主義の発展は人権の尊重、民主主義、個人主義とうらはらの関係になっている。中国が今後資本主義的な経済(これを中国的社会主義と言おうと)を推進すれば、必ず人権尊重、民主主義、個人主義の保障を求められるだろう。そういう必然の流れの中で「中国共産党の独裁」は崩壊せざるを得ないのではないだろうか。
かつての東ヨーロッパの動きはその先駆けといえないだろうか。
(なおこの点でこのブログの18.9.19を参照いただきたい)。
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