「敬天愛人」

大河ドラマ「西郷(せご)どん」が終わった。このドラマが始まった当初はどうも気乗りがしなかったのだが、江戸幕府を倒すころから面白くなって最後まで見ることになった。そして今日は西郷隆盛が西南戦争で死ぬことによって終わりを告げた。

西郷が他人に対して自分の生きるモットーを「敬天愛人」としていたことは知られていることだが、ここで気になるのは「天」についてだ。
日本では(あるいは中国でも)天がしばしば登場する。有名な「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」の天、「天知る地知るおのれ知る」の天、「天の声」の天、「天に代わって不義を討つ」の天、など皆同じ意味なのだろうか。

これらで使われる天は西洋の神の意味と考えていいのか、あるいはもっと広い何かを表しているのか。そもそも日本には神は人間の延長上のもの。だから高天原におりたった伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の二柱の神は、これから地上をどうするか、の相談から始まった。(子作りが最初の仕事だった)。
神々のトップに立つ天照大神は、文字通り天を照らす神だ。だから天は全世界をいうのか、また世界の創造主か、であればキリスト教と似ているといえるのかも知れないが。

結局日本の天は、神でもあり全自然でもあり、人間の大先祖でもあり、臨機応変に対応できる私たちのスーパー指導者といっていいのかも知れない。

西郷がかかげた「敬天愛人」は、天を敬い人を愛することだが、この天とはまさに神的な存在であるといえるのかな。だから神を愛し人を愛する、ということか。しかしこれはキリスト教的?

西郷隆盛がどうして人々から敬愛される大人物になったのだろう。上野公園で愛犬をつれて和服で散歩するスタイルは周知のとおり。どうして死後140年もたっているのに日本人の中の人気者であり続けられるのか、ちょっと面白いナゾだ。
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