来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
和寒中学校同期会
私は昭和28年に和寒中学校を卒業した。第6期生。ここ数年2年に一度、同期会が開催されてきた。今回は、第11回目に当たる。卒業した同期生は196名、すでに31名が鬼籍にある。160余名のうち43名が母校のあった和寒町に集まった。4人に1人の参加ということだから、なかなかの参加率ということになるだろう。
遠くは神奈川県から来た友人もいた。皆、(当たり前だが)年齢相応の感じである。再会を祝い合い、2年後は旭川市で開催することを確認し合った。
その昔も、和寒町は農業中心であったが、人口は現在の3倍以上もあったし、小学校自体10校以上あった。現在は小中学校各1校。
体育館で紅白青黒の4組に分かれたささやかな運動会をし、夜を徹して語り合った。お互いの仕事をたたえ合い元気でこれからの奮闘を誓い合った。朝になると、話し合った内容で記憶に残っていることはそれほど多くない(?)。
ノーベル賞の鈴木名誉教授がかつて「むかわの二宮金次郎」といわれていたことも話題になり、半世紀前たくさんの「和寒の二宮金次郎」がいたことが思い出されるというパーテイだった。
遠くは神奈川県から来た友人もいた。皆、(当たり前だが)年齢相応の感じである。再会を祝い合い、2年後は旭川市で開催することを確認し合った。
その昔も、和寒町は農業中心であったが、人口は現在の3倍以上もあったし、小学校自体10校以上あった。現在は小中学校各1校。
体育館で紅白青黒の4組に分かれたささやかな運動会をし、夜を徹して語り合った。お互いの仕事をたたえ合い元気でこれからの奮闘を誓い合った。朝になると、話し合った内容で記憶に残っていることはそれほど多くない(?)。
ノーベル賞の鈴木名誉教授がかつて「むかわの二宮金次郎」といわれていたことも話題になり、半世紀前たくさんの「和寒の二宮金次郎」がいたことが思い出されるというパーテイだった。
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