来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
ウチでの仕事(初めチョロチョロ…)
「『主夫』見習い」についてこれまで3回ほど書いたことがあるが、今もまだ「見習い」中。女房も、事細かく「指導」するより、自分でさっさっと進めた方が手っ取り早いと思っているのだろう。(聞いたことがないが)。
しかしつくづく思う。炊事・洗濯・掃除は(私は北海道の農村の育ちだった)女性の仕事、男性は馬・牛・山羊・鶏の世話と田畑での仕事だった。ときどき交差することはあったが。
子どもは、それぞれの隙間をうめる大切な労働力。私の例でいえば、馬と山羊の小屋の糞の処理、山羊の乳しぼり、田んぼの畦の草刈りや落ち穂拾いなど、重要な労働力の一員だった。一番イヤな仕事は夏場の馬糞出し。もちろん臭い所での仕事。
今、洗濯とか飯炊きなどをすることがあるが、これをやるときほとんど必ずといっていいほど、昭和20年代の母親の仕事を思い出す。洗濯機があったらよかったのに、とか電気炊飯器があったらどれほど楽だったろうか、など。
ごはんを炊くときのこつをどこかで教えてもらった。「初めちょろちょろ、中パッパ、赤んボ泣いてもフタとるな」。
今、掃除機もスイッチをいれると適当に(勝手に)必要な場所をきれいにしてくれるし、メシも2合炊くのであれば2,3回米を洗ってスイッチを入れると、必要な時刻にメシが炊かさる(?)。一番ありがたいのは洗濯だろうか。
だから今の子どもたちは親の仕事の手伝いなどする必要もないし、親たちもこれをさせることはほとんどない。ゴミ出しでも子どもがもってくるなど見たことがない。
文化がすすむと、人間は足と手と頭を使わなくなってくるのではないか。その結果はどうなるのだろう。
新しい二宮金次郎像をつくることが求められているのではないか、と思ったりするのだが…。
しかしつくづく思う。炊事・洗濯・掃除は(私は北海道の農村の育ちだった)女性の仕事、男性は馬・牛・山羊・鶏の世話と田畑での仕事だった。ときどき交差することはあったが。
子どもは、それぞれの隙間をうめる大切な労働力。私の例でいえば、馬と山羊の小屋の糞の処理、山羊の乳しぼり、田んぼの畦の草刈りや落ち穂拾いなど、重要な労働力の一員だった。一番イヤな仕事は夏場の馬糞出し。もちろん臭い所での仕事。
今、洗濯とか飯炊きなどをすることがあるが、これをやるときほとんど必ずといっていいほど、昭和20年代の母親の仕事を思い出す。洗濯機があったらよかったのに、とか電気炊飯器があったらどれほど楽だったろうか、など。
ごはんを炊くときのこつをどこかで教えてもらった。「初めちょろちょろ、中パッパ、赤んボ泣いてもフタとるな」。
今、掃除機もスイッチをいれると適当に(勝手に)必要な場所をきれいにしてくれるし、メシも2合炊くのであれば2,3回米を洗ってスイッチを入れると、必要な時刻にメシが炊かさる(?)。一番ありがたいのは洗濯だろうか。
だから今の子どもたちは親の仕事の手伝いなどする必要もないし、親たちもこれをさせることはほとんどない。ゴミ出しでも子どもがもってくるなど見たことがない。
文化がすすむと、人間は足と手と頭を使わなくなってくるのではないか。その結果はどうなるのだろう。
新しい二宮金次郎像をつくることが求められているのではないか、と思ったりするのだが…。
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