石破構想はジョウダンではないのか

2回にわたって年頭の石破所感の大筋を紹介した。自分でも読み直してみて、私の引用が悪いのかもしれないが、石破首相の構想がいかに非現実的か、を痛感させられている。

戦後の我が国の歩みは、「強い日本」、そしてこれを経て「豊かな日本」を目指してきた。この成果にたってこれからは、「楽しい日本」をめざすという当然の目標ができている、という石破氏の理念だ。

しかしちょっとわが暮らしと街のあちこちをながめると、「ジョウダンは顔だけにしてほしい」と皮肉の一つもいいたくなるような状況が至る所に目に入るではないか。
物価はあがる、年金はわずかではあっても下がる傾向を示している。今朝のニュースは、埼玉県八潮市の道路が陥没しトラックが転落した事故が起きたという。
札幌にも至る所に地下鉄や地下の通路、上下水道管が通っているのだから、埼玉県と似た事故が飽きるかもしれない、と私などもヒトゴトではないゾ、という思いがしてゾッとなる。
学校と教育問題もまたあらためて取りあげたい。先生が足りないという事態が広がってきているというではないか。

石破さんが「楽しい日本を」というが、それがいかに空々しいか、「ジョウダンは顔だけにしてくれ」と記した理由だ。


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