戦時歌謡曲「仏印だより」

はるか以前から頭の片隅に居残っている歌の文句がある。メロディはかなりあやしいのだが、歌詞は次のようなものだ。1番はダメで2番以後はかなり確かだと思っている。

「カンボジャ、ラオスそしてまた、コーチンシナの果てまでも
サイゴン米のおいしさに
打つ舌鼓我々は 祖国と同じ暮らしです」

そして一番終わりはこういう歌詞になる。

「ああもう書けん交代の 歩哨の時が来たのです
命があればまた書こう いざいざ蛍飛び交わす
真冬の原に立ちましょう」

この歌がどうして私の記憶のヒダに停まっていたのかかいもくわからない。思いついて、昨日「トンキン湾に雨後の虹」という一節を検索用の語としたら、「戦時歌謡『仏印だより』」と出てきた。この歌がこういうタイトルだったのか初めて知った。

最後の文句「蛍…真冬の原」は記憶違いで「真夏の原」だろうと考えた。真冬に蛍が飛ぶわけがないからだ。しかし歌詞は間違いなく真冬だった。

この歌が歌われたのは昭和15年だったという。日本軍が南進政策をとってインドシナ半島に侵略したときの歌だ。

私の記憶にこの歌詞が残っていた理由はどう考えても分からない。昭和20年前後に、私の暮らしていた和寒の家には電気はなかったからもち論ラジオはない。ねじ回しの蓄音機があったが、この歌を聴いた記憶はない。戦後の流れの中で、この「仏印だより」などというマイナーな軍歌が歌われることなど考えられない。戦時歌謡を収録したCDにも載っていないと思う。普通「軍歌」と言えば、「ここはお国を何百里…」とか「徐州徐州と人馬は進む」などだが、この「仏印だより」がかなり正確にわが脳裏に残っていることは何だろう。奇異に感じる昨今である。
たしかに、昨日明日のことは忘れても半世紀以上前のことはしっかり覚えているという老人期の特性の一つであるに過ぎないのかも知れない。

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