従軍慰安婦をめぐる問題

今日(17日)の道新は、「慰安婦問題を考える」という記事を特集している。「吉田証言」として知られている慰安婦問題は国際的な論争のテーマになっている。そして政府関係者が「日本がかつて性奴隷制度をもっていた」などはありえないし、そういった国際的な決めつけは許せない、といった趣旨の発言をしていた。朝日新聞への攻撃もこの問題と関連がある。

いわゆる「河野談話」は時の官房長官河野洋平氏が当時の日本軍が慰安所を設置し、この慰安婦を時の権力の直接間接の支持の下で甘言・強圧によって集められたことを内容としたものだった。

そして従軍慰安婦問題の情報が多く吉田清治という人からの情報にもとづいていたこともあり、この吉田証言の信ぴょう性が問われることになった。

吉田証言がでたらめだったとすれば、国際的に問題になっている「従軍慰安婦問題」はそもそもなかったということになる。そういう理屈で、朝日新聞は吉田証言をことの真否を立証することなく重視したことは許せない、国辱ものだという批判になる。

ではあの戦時中、特に戦場周辺で「明日をも知らぬ命」を覚悟していた兵士たちを慰安するために女性たちが「慰安所」に待機していたことは、強制的に連れてこられたのではなく、自由意志で、または民間の斡旋業者の就職紹介によって就業していたことなのか、ということになる。

道新は「吉田証言」を1991年11月から93年まで8回にわたって掲載した。「朝鮮人従軍慰安婦の強制連行『まるで奴隷狩りだった』」という見出しで報じたことなどを「お詫び」する。吉田証言を検証した結果、裏付けは得られなかった、信ぴょう性がうすい、という結論になったとする。

問題の根幹が、吉田証言だけにあるのではないはずだ。仮に吉田証言がウソであったとすれば、日本軍駐屯地周辺に設置されていた慰安所とそこで働く女性たちが、軍の意思でなく、全くの自由自主の女性と民間業者の動きだけということになるのか。

道新は作家の半藤一利氏の「見方」を大きく掲載している。半藤氏は「私たち日本人が先の戦争のことを見つめ直し努力を怠ってきたのではないか」と指摘する。戦場の近くで慰安所を営業するのに、軍が関与しなければできるはずがなかったと説明する。慰安婦を軍医が検診していた。軍の意向と深い関係があったことはいうまでもないだろう。

千田夏光という作家(2000年に死去)が「従軍慰安婦・慶子」という著作を書いている。昭和56(1981)年の刊行である。
この書を読むと今の議論がどういう意味をもっているか、いかに軍がこの慰安所(娯楽所)運営にかかわっていたか、そしてここに働く女性たちの文字通り血と涙の半生(人生をすべてキャンセルされた)を知ることができる。感動というより悲しみと当時の為政者たちへの怒りを抑えることができない。

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