和寒行、そして逆転の発想

来月のスクーリングの相談もあって、和寒に行った。札幌に半世紀暮らしていたのでその昔の和寒の寒さは忘れていたのだが、たかだかマイナスの一ケタの後半が異常に寒かった感想である。風の冷たさによるのだと言うのだが、やはり日本の寒さの原点であると思う。

札幌と地方との連携、教育の未来に関わる連携、などいわゆる「学びの共同体」をどうつくるかについていろいろな示唆を受けることができた。
そして、お土産にもらった「越冬キャベツ」に関連して、これなどもいわば逆転の発想といっていいのでは、という。何のことはない「収穫しても大して利益にならないのなら放っておこう」と捨てていたキャベツが翌年の春雪が溶け出したときに「全く新鮮な色合い」をしていたことが大事な意味をもっていたという。
こういう偶然が重要な意義をもっているのだという提案ができる人がいたということである。これからに教訓になることである。すなわち、ほんのちょっとしたことをどう未来につながる契機にできるか、そういう受けとめることのできる力を持ち得るか、である。
「逆転の発想」とは結局はこういう受けとめる力の別の表現であろう。

和寒の本校は寒かったが、凛とした威儀を示していた。
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