邪魔であれば味方であっても「轢き殺して進め」

司馬遼太郎という作家の歴史小説をあらためて読んでみたいと思っている。彼の書いた「歴史の中の日本」というエッセイ集が非常に面白いからだ。

日本歴史のそれぞれの節目について、その時の主要人物や出来事などを解説し、または論評したり、今の感想を述べたりしている。

印象に残る一つのテーマを紹介しておこう。
昭和20年の初夏(終戦直前)、司馬氏は数少ない戦車隊に属していた。大本営が虎の子のように大事にしていた部隊だった。この部隊に派遣されてきた少佐に対して部隊のある将校(中間リーダー)が質問した。
「敵軍が上陸してきた時、これを撃滅する任務をわれわれはもっているが、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるだろうから、当然街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが部隊は立ち往生してしまう。こういう場合どうすればよいか」と。

これに大して大本営少佐参謀は、ごく当たり前の表情で
「轢き殺してゆく」と言った。
この回答を、直接肌身に感ぜざるを得ない立場にあった私は「やめた」と思った、と記していた。

この話に続けて、司馬氏が説明する。明治維新を推進したのは長州藩。そして維新に反対した「賊軍」は会津などの東北人だったが、その後東北南部出身者が軍部の主導権を握った。東条英機もその系統を引くのだとか。彼らは、「おれたちの方が天皇陛下のために働くのだ」という気持ちをもった。「轢き殺して進め」という思想はこういう血筋から出てきたのだ、という。
「あの戦争の終結で、維新史はようやく終わった」としめくくっている。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 早く桜が咲か... 「青い目の人... »