震災から3か月-「絆」と「希望」

あの大震災(大地震と大津波と原発事故)から3か月たった。私たちが言葉であれこれいうにはかえって後ろめたいような気持ちにすらなるこの「3か月が過ぎた」という感慨である。

そして報道によれば、悲しみが重なり合うようなできごともあるが、それ以上に何かしらの希望が生まれてきているように思える。よく「絆」が叫ばれる。この総和が希望につながっているのではないかと感じる。
私は今回の大震災が、60数年前に私たちが体験したあの戦争直後の人びとのおかれていた生活状況と感情と似ているのではないか、と思っている。日本人はあの苦しみを乗り越えてきた。その底力になったものは人と人とのつながりであり、そのつながりが未来への希望と相互の関係だった。
ただあのときには「困難」を乗り越えるベースに、誰の目にもこの苦しみの根拠がはっきりしていた。戦争とこれを引き起こした者という根拠が。だから「新生日本」の希望は平和日本だった。
今、これをどう見つけるか。

苦しみの要因と根拠は大震災であったにしても、次への希望は何になるのだろうか。生活と環境の早急の立て直し。そこへの道筋をつくり出すことなのだが、このあたりがまだもたもたしているようだ。必要なモノとカネの動きが鈍い。要するに政治力があやふやだ。

総理大臣を早くやめさせる、というのだが、次のトップをどうするのか、その政治的なゴタゴタがたくさんの人たちの絆と希望の支障になっている。

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