学校における「体罰」について-2

3.世論調査で学校での体罰は必要か、があった(13日のTVだったがどの局だった か?)。これによると、150人中体罰は「ある程度必要」と言う人が94人、「必要」という5人を加えると3分の2が体罰肯定だという。(こういう調査はこの設問設定にも問題があると思うが)。一般的には、体罰は絶対にダメという意見は必ずしも多数派ではないようだ。このような体罰肯定の土壌は、上に記した文科省の「体罰は許されないが懲戒はあり得る。その境目を総合的に考える」といった少々あいまいは態度と関係があるのかも知れない。
 体罰はある程度は必要だ、とかある場合には有効だ、という見解が少なくない。その多くはかつて自分が学校時代に先生からたたかれたことがあり、それは多くの場合「愛の鞭」だったと自覚したという記憶が体罰限定肯定論の背景にある。「その先生のイッパツがおれの気持ちと態度を変えてくれたのだ」と。
 その昔、(これまた自信をもって言えないあいまいな部分だが)たしか「はだしのゲン」という劇画のワンシーンでなかったろうか。ゲンが朝鮮人を軽蔑した発言をしたとき、ゲンのオヤジがゲンを張り倒した。「人間を軽蔑してはいけない」ことを知らしめるためだった。このような身体をはった父親からの教えを受けてゲンは強く正しく成長していく。「愛の鞭」論の姿であろう。これは父親の行為であり「親権」行使という現象と言える。
 前回にも記したが、桜宮の体罰教師の行動はそういうものでもない。単純な暴力行為でしかない。部活で行われる顧問教師の強い指導の現れとしての「体罰」は、懲戒でもなく不正行為への怒りでもない。シゴキという恣意的な暴力である。

 ※ 道北の町和寒町で東京シューレ学習センターの子どもたちがスクーリングを行っている。これに2日間だけだが同行した。真っ白い雪を見たのは初めてとかマイナス20度の気候も初体験したという子どもたちだったが、防寒着などでは「重装備」だったので安心した。雪中キャベツ掘りを、晴天だったが極寒の地で約1時間半ほど体験したら、こちらの方がシバレあがった。「北海道の人の方が『軽装備」ですね」と東京の引率の先生にヒニク混じりで言われるしまつだった。

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