来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
3月で教師を辞める
学校の「通信」にもこれを公表した。それらを見て、長い間に交流のあった父母や教育関係の人や教え子たちからメールや電話などで「ご苦労様でした」といった趣旨のメッセージを寄せられる。
私が前半30年間の私立高校での仕事、後半30年間のフリースクールと通信制高校での仕事、上のメッセージで言えば、どちらかと言えば後者の関係が多い。今日も、あるお母さんから(30年近く前だったが)「息子がお世話になりました。おかげさまで今は立派に社会人として道東で活躍しています。それも先生のおかげでした」という意味のことを語って「ご苦労さまでした」のメッセージをもらったが、かえってこちらが恐縮する。
フリースクールを始めたころ、今よりも(?)一人ひとりの子どもに言葉でいえないほどの辛い境遇が教育をめぐる環境の中に、あったと言える。いじめとか登校できない要因とか、家庭の問題に関係することに起因することとか、それを語る(主として母親たち)の話を、私はほとんど聞くことに努めたとしか言えないのだが、お母さんたちは「先生に聞いて頂いて…」とお礼を言われる。
今もよく「困っている親や子どもに寄り添って…」という言葉が使われるが、寄り添う第一は苦しいこと嬉しいこと、辛いことや悲しいことに耳を傾けることだろう。
私もかつての女子高での30年間で、同じような問題にどれだけ直面したか、親や子どもたちからの話を聞くたびにその話の類似性と独自性を考えることに努めた。
そして「役に立つことをしてきたのだ」と自分の体験に満足する。こういうことも含めて、培ってきたささやかな「遺産」になるのではないか、と想うのだが。
私が前半30年間の私立高校での仕事、後半30年間のフリースクールと通信制高校での仕事、上のメッセージで言えば、どちらかと言えば後者の関係が多い。今日も、あるお母さんから(30年近く前だったが)「息子がお世話になりました。おかげさまで今は立派に社会人として道東で活躍しています。それも先生のおかげでした」という意味のことを語って「ご苦労さまでした」のメッセージをもらったが、かえってこちらが恐縮する。
フリースクールを始めたころ、今よりも(?)一人ひとりの子どもに言葉でいえないほどの辛い境遇が教育をめぐる環境の中に、あったと言える。いじめとか登校できない要因とか、家庭の問題に関係することに起因することとか、それを語る(主として母親たち)の話を、私はほとんど聞くことに努めたとしか言えないのだが、お母さんたちは「先生に聞いて頂いて…」とお礼を言われる。
今もよく「困っている親や子どもに寄り添って…」という言葉が使われるが、寄り添う第一は苦しいこと嬉しいこと、辛いことや悲しいことに耳を傾けることだろう。
私もかつての女子高での30年間で、同じような問題にどれだけ直面したか、親や子どもたちからの話を聞くたびにその話の類似性と独自性を考えることに努めた。
そして「役に立つことをしてきたのだ」と自分の体験に満足する。こういうことも含めて、培ってきたささやかな「遺産」になるのではないか、と想うのだが。
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