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日記 … Kametarou Blog
再び「八紘一宇」について
高校の日本史の教科書に、太平洋戦争の目的について「自衛と大東亜共栄圏の確立」においていたと記している。欧米による植民地支配から脱して、アジアの新秩序をうちたて、諸民族の自立と共存共栄をはかると称して、戦争の目的を正当化しようとした、と説明している。
そして1943(昭和18)年11月に東京で大東亜会議が開かれた。この時に集まった大東亜共栄圏構想に賛意を表していた「満州国」「中国の汪兆銘」などを招き、東条英機首相を囲んだ記念写真がある。言葉でいう「共存共栄」は、実際には日本が戦争継続に必要な資材の供給地として占領地域を支配するためのごまかしの宣伝文句だった。
この時の中心概念が八紘一宇であった。だからこの言葉は「世界中は皆兄弟、仲良くしあう」というような童話的なものなどではない。
三原じゅん子という議員が単純に、つまり歴史的な意味を抜きにして「こんないい精神を日本の天皇は神代の時代からもっていたのよ」等と言っても外国からバカにされるだけなのではないだろうか。グローバルスタンダードの理念だ、などとアホなことをいう人もいるが、どうしたものか。
かつて昭和天皇も「八紘一宇」と記されていた記念碑(宮崎市)を訪問することを避けたという。この塔はまた「平和の塔」でもあったが、これに刻まれている「八紘一宇」がもつ血塗られた意味を当然にも忌避されたのであろう。
もし三原議員がいうような表面的な意味だけでものごとを判断するのであれば、やはり戦後「失効」した「教育勅語」も「堂々と」復活するのではないか。
これには「父母を大切に、兄弟仲良く、夫婦も助け合い、友だちは信じ合い」国のために働こうという訴えが込められているのだから。
ある歴史的な言葉はその使われた意味をしっかり考えてから理解すべきであって、三原議員のようなオソマツな理解をするのであれば、我田引水、牽強付会のそしりをうけるだろう。
最近、安倍首相の気持ちと精神を体現しているのか、70年以前を「再評価」する動きが急ピッチだ。安保体制の再構築の動きなど、地球規模での自衛隊の行動を助長する政策すら感じ取れる。
日本国民300万人の命をかけて勝ち取ってきた日本国憲法の理念がキャンセルされていくのも時間の問題なのか。
まだ一度しか大戦の悲しみと苦しみを体験していないのだ。やはりドイツのように二度の大戦の悲劇を味わうことがなければ歴史の教訓は国民のものにならないのかも知れない、と涙をおさえたくなる。
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