来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
愛子内親王の「不登校」
皇太子の一子の愛子さまが不登校状態になり話題になっている。関係者は非常に困惑していることが想像される。3月はじめから問題になっているとのことだが、事の発端はもっと前らしい。詳しいことは分からないが数名の「乱暴な子ども」の行為がきっかけになったらしい。
今朝のテレビ報道で、ある専門家とされる精神科の医師が「愛子さまがどういう状態だったら登校できるかを確認し善処するべきです」というような発言をしていた。この程度のことなら、専門家でなくても言える。もう少しマシなことを「コメント」として報じられないのかと思う。
コメンテーターのひとりの江川紹子さんが「無理しないで、場合によってはフリースクールという選択肢もあるのだから」という発言をしていた。こちらの方がより適切なコメントだと言える。
わが学園にも「小学部」を用意していることを伝えたい、などという気持ちも少しだけもった。しかしもし愛子さまが現在の学習院を離れてどこかのフリースクールにでも行こうなどという傾向が生まれたらどういうことになるか、恐ろしくなる。
宮内庁から、このフリースクールはどういう所か、そもそもフリースクールって何? スタッフと生徒の傾向を詳細に知りたい、とか想像を絶する事態が生まれるだろう。そしてマスコミの「最高の的(まと)」になり、仮に母上の皇太子妃がつきそってフリースクールに来るなどということになればそれこそ大ごとになるだろう。
不登校問題は、いろいろなケースがあるからひと言で言えないのだが、多くの場合、その子どもがいかにしたら元気を取り戻すことができるか、が基本のテーマであって、どうしたら登校できるか、などでは全くない。そういうことも分からない「専門家」は医者であっても不登校の専門家ではない。では愛子さまの場合どういうことが一番いいのだろうか。
まず小さくない気疲れを癒す時間を保障することである。気楽に休むことだ。いろいろな御用邸があるだろうから休息に事欠かないはずである。その後、その気になったら(低学年であればその時期はそれほど遅くはないだろう)立派な「学校」ではない居場所・学びの場である「フリースクール」を準備したらいい。広い皇居内のどこかに「普通の」ログハウス的なものをつくって、だいたい10名から20名程度の異年齢の子どもたちと楽しく過ごせるようにする。その際の最善の条件は「愛子ちゃん」と呼び合うことができる人間関係をつくることではないか。子どもが元気をとりもどす基本は子どもらしい環境である。愛子内親王にとってそれが一番重要な観点であると、私は思う。
「愛子さま」などという敬称を無理に言わせられるような環境では、同じ学校の子どもたちとの間に楽しく元気に過ごすことなどできないのははっきりしている。今の子どもの社会で「○○さま」などという使い方など普通ではない。どうして愛子さんとか愛子ちゃんとか言えないのだろか。皇族への公的な敬称は「殿下」である。人間的な関係は対皇族ではあり得ないのか。
この愛子内親王の不登校問題は、まさにベールに覆われているから詳細は分からないのだが、今日の「非人間的な教育環境」がその要因であることを透かして見せてくれているように思えてならない。
今朝のテレビ報道で、ある専門家とされる精神科の医師が「愛子さまがどういう状態だったら登校できるかを確認し善処するべきです」というような発言をしていた。この程度のことなら、専門家でなくても言える。もう少しマシなことを「コメント」として報じられないのかと思う。
コメンテーターのひとりの江川紹子さんが「無理しないで、場合によってはフリースクールという選択肢もあるのだから」という発言をしていた。こちらの方がより適切なコメントだと言える。
わが学園にも「小学部」を用意していることを伝えたい、などという気持ちも少しだけもった。しかしもし愛子さまが現在の学習院を離れてどこかのフリースクールにでも行こうなどという傾向が生まれたらどういうことになるか、恐ろしくなる。
宮内庁から、このフリースクールはどういう所か、そもそもフリースクールって何? スタッフと生徒の傾向を詳細に知りたい、とか想像を絶する事態が生まれるだろう。そしてマスコミの「最高の的(まと)」になり、仮に母上の皇太子妃がつきそってフリースクールに来るなどということになればそれこそ大ごとになるだろう。
不登校問題は、いろいろなケースがあるからひと言で言えないのだが、多くの場合、その子どもがいかにしたら元気を取り戻すことができるか、が基本のテーマであって、どうしたら登校できるか、などでは全くない。そういうことも分からない「専門家」は医者であっても不登校の専門家ではない。では愛子さまの場合どういうことが一番いいのだろうか。
まず小さくない気疲れを癒す時間を保障することである。気楽に休むことだ。いろいろな御用邸があるだろうから休息に事欠かないはずである。その後、その気になったら(低学年であればその時期はそれほど遅くはないだろう)立派な「学校」ではない居場所・学びの場である「フリースクール」を準備したらいい。広い皇居内のどこかに「普通の」ログハウス的なものをつくって、だいたい10名から20名程度の異年齢の子どもたちと楽しく過ごせるようにする。その際の最善の条件は「愛子ちゃん」と呼び合うことができる人間関係をつくることではないか。子どもが元気をとりもどす基本は子どもらしい環境である。愛子内親王にとってそれが一番重要な観点であると、私は思う。
「愛子さま」などという敬称を無理に言わせられるような環境では、同じ学校の子どもたちとの間に楽しく元気に過ごすことなどできないのははっきりしている。今の子どもの社会で「○○さま」などという使い方など普通ではない。どうして愛子さんとか愛子ちゃんとか言えないのだろか。皇族への公的な敬称は「殿下」である。人間的な関係は対皇族ではあり得ないのか。
この愛子内親王の不登校問題は、まさにベールに覆われているから詳細は分からないのだが、今日の「非人間的な教育環境」がその要因であることを透かして見せてくれているように思えてならない。
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