「縄文遺跡を世界遺産に」

今日の報道だが、「ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は27日、国の特別史跡『三内丸山遺跡』(青森市)をはじめとした『北海道・北東北の縄文遺跡群』を世界文化遺産に登録することを決めた、とのこと。登録されたのは、北海道と青森、岩手、秋田の3県に点在する17遺跡。

日本の歴史教育、基調はこうだ。
「20万年ほど前にアフリカで誕生したホモサピエンスは10万年前にアフリカを出てユーラシア、そして世界各地へとその行動を広げていった。まさにグレートジャーニー(偉大なる旅)と言える。そして5万年前に東アジアへ、日本列島には4万年前に移り住む人たちが出てきた。彼らは、長年の暮らしの中で土器を創り出すことに成功した。これは1万年程前のことだ。今から2300年ほど前に北九州に朝鮮半島から来た人たちによって、新しい文化・技術とも言うべき農耕・鉄製武器をもった弥生文化の時代が始まるまでの約8000年間が狩猟・採集・漁労の生活が続いた。これが縄文時代だ」。

縄文時代は、自分の力で食料を獲得し、保存する、しかしこれを増産するという文化のレベルまでには到達していないはずだ。動植物を狩り・採集し、そのようにして得たエサを、土器の鍋・釜・盥に入れて、時には一冬保管して家族の暮らしをつなぐ。東北や蝦夷地は今よりもはるかに寒かっただろう。寒さの中で、火をどう守っただろう? 詳しいことは分からないが、想像すればモノスゴイドラマティックで命を賭けた暮らしだったろう。

しかし人間は、公然と殺し合う(戦争)ようになったのは縄文時代以後の弥生時代からだ。文字のない縄文時代の方がホモサピエンスの後輩である私たちに示唆するものは大きいのではないか、と思うのだが。

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