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日記 … Kametarou Blog
ミャンマーのかつての悲劇(インパール作戦)の責任
かつてこのミャンマー連峰共和国はビルマ連邦だった。そして第2次大戦後まで日本がここを占領していた。
日本が大戦後撤退して以後、ミャンマーは独立、また内線、といった激動の歴史を歩む。そして2010年以降アウンサンスーチー氏による文民政権ができた。そして先日軍部によるクーデターによって政権が今後どうなるかよく分からない。
大戦の終盤、ビルマを占領していた日本軍はインド北東部の要衝インパールを攻略すべくインパール作戦を敢行した。1944年の春、全く無謀な作戦のもとで約10万の日本軍を猛烈な豪雨、言語に絶する飢餓のもとに置くことになる。4か月の戦闘で死者3万、傷病者4万の犠牲をもたらした。
この戦闘は、小説「ビルマの竪琴」や「いくさの底」などであつかわれているが、今言いたいことは、このビルマでの戦闘、いわゆる「インパール作戦」が結局は上に記したような犠牲だけを積み上げたにもかかわらずその結果について誰一人責任をとっていないこと、責任を追及する動きが政府と軍部にもなかったということの問題点についてである。これは現在の例えば福島原発事故についても、さまざまな「腐敗政治関連事項」についても当てはまるのではないか。
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