ハーバード白熱教室-5(人を食うことは許されるか)

短編ではあるが、武田泰淳という作家の代表作の一つに「ひかりごけ」という小説がある。2007年8月にスタッフ研修旅行で知床に行ったときに「光ごけ」の洞窟を見たことがあったが、この洞窟と同小説の「ひかりごけ」は関係がない。
なんでこの話をするか、といえば、例のサンデル教授の「ハーバード白熱教室」の第1巻に登場する「サバイバルのための『殺人』」を読んで、いつかこれに似た話があったのでは、と思い出したのが、武田泰淳の「ひかりごけ」だった。サンデル教授が引用する「殺人=食人」と小説「ひかりごけ」のテーマはほとんど共通する。若干違う点といえば、後者は小説で宗教的な光輪が光るという創作があることぐらいか。

どちらも実際にあったことのようである。生き残るために行った食人は罪になるか、というテーマである。サンデル教授が出した事件は1884年にイギリスであった。漂流した船員は4人。8日間食べ物も飲み物もなかった。その時、最も若く身寄りもない給仕の少年が死に直面していた。船長はこの少年を殺し、3人は彼をエサにして生き残ることができた。この事件の裁判についてはネットで調べて欲しい(ミニョネット号事件)。
一方のひかりごけもまた実際の話だった。こちらは、戦争末期の昭和19年12月に根室から小樽に向かった船団(軍務を帯びていた)が知床半島の先で嵐に遭い、その一隻が遭難した。乗組員は7名。2か月後の2月3日、船長が番屋にいたところを救助された。ただ詳しいことは分からないのだが、作家はこの短編の後半を「戯曲」風にまとめている。結論的にいえば、生き残った船長は仲間を順ぐりに食べ続けてて生き延びたという。そして最後の場面は法廷である。生きるために食人をしなければならなかった、この事実を船長は一生背負って生きなければならない。その背負いが「光の輪」である。作者はこの船長を罪を負ってゴルゴダの丘に運ばれるキリストになぞらえる。光の輪は十字架なのか。

サンデル教授は「食人」をテーマとして白熱討論を呼び起こす。そして解説の小林正哉教授は「結果から考えるだけでは不十分ではないだろうか」ということを学生たちに自ら考えてもらうために、「この例を出されているのだろうと思います」と言っている。

ぎりぎりの所で、人は生きるために場合によっては食人行為はありえるのか。この話は「最大多数の最大幸福」の関連させて引用されていた。

 

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