歴史教育について

昨日の「世界史」に関する続き。
いわゆる「自虐史観」などと日本の歴史教科書に口汚く文句をつけている藤岡信勝という人がいる。この人を招いて1980年代後半に何度か勉強会(「授業づくりセミナー」といった)を開いたことがある。その時の講演は、新鮮で少壮気鋭の実践的学者という印象をもっていたし、少なからず社会科教育論では影響を受けたと記憶している。ところが、1991年の「湾岸戦争」を機に彼の立場はまさに180度変わった。「変身」という言葉があるが、これを地でいく変わりようだった。
藤岡氏が元の少壮気鋭の学者だった最後の著であるといえる「社会認識教育論」(日本書籍・教育双書)がある。私はこれは名著といってよいと思う。この著にかかわりながら、ちょっとだけ歴史の授業に触れておきたい。

社会認識教育の観点を、彼は「共感から分析へ」として4つを指摘する。
1.「共感」とは何か。例えば過去の奴隷たちの立場に立ったときどう考えるか。想像力の所産であるが「すべての歴史は現代の歴史」とする。
2.共感のもつ発見的意義。奈良時代、口分田から農民たちは逃げた。この逃亡ということを多面的に想像し奈良時代の農民の立場に立って考える。
3.ある人物に対する共感がおこりやすいのは、その人物をよく知っているか、その人物についての情報をたくさんもっているか。そう促すためには、一見些末なことでも丹念に描くこと。母の歴史とか身近な人の戦争体験などを知ることによって共感を生み出しやすい。
4.過去の人物のおかれた状況についてのくわしい情報によって共感を生む。「もし君が徳川家康だったら」などという発想は、考えるにふさわしい十分な資料がなければ有効な共感にはならない。

このまとめが必ずしも著者の論述を正確に伝えているか不安なのであるが、過去の学習は今につながる何かを考えることになる。この契機を共感から分析へというキーワードにした。

実際には、1週1回か2回の授業では、いろいろな情報を伝えることもなかなか難しいし、生徒にとってはヘタしたら歴史は暗記物というレベルに落とし込んでしまう。
共感を感じることができるような教材の整理、そして各種のテストにも有効になる「学力」アップにつながる勉強、指導のスベをいっそう考えていかなければならないと痛感する。

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