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日記 … Kametarou Blog
また「教育勅語」について
3月9日のこのコーナーで「教育勅語」について記した。この数日、「教育勅語」を学校教材として使用することはあり、という政府見解が報道されている。
私は、高校の歴史の授業で「教育勅語」についてはほんの少し触れる。日本の戦前の教育の基本を説明するために。
政府のメンバーが教材として使用する、ということがどういう意味をもっているのか詳しくは分からない。あれだけ森友問題は「関係がない」と叫び、元理事長を偽証の罪で告発するようなことをいっている自民党の首脳が、森友学園がその幼稚園児に教育勅語を暗唱させるような教育方針が話題になっているとき、この教育勅語を「教材とすることもあり」という意図は何なのだろう、と非常に疑問だ。
だいたい今の教育現場で教育勅語を教材として勉強しようとしてもそんな時間、余裕などないはずだ。教えること、やらなければならないことがヤマのようにある。そこに、明治23年(1890)に天皇が「日本の教育はこの線でやらなけばならないのだ」という趣旨で、忠孝愛国、尽忠報国をうたう教育勅語を指導するヒマなどない。そんなことは充分知っていながら「教材として勉強することもあり」ということは、政府要人の気持ちと希望を「忖度」するなら、この勅語の理念を広めたいという復古主義の政策がありありと見えるのだ。
これに家族はお互い助け合うといった理念を強く広げていきたい安倍政府の気持ちは明治維新にさかのぼりたいのではないかと想像する。
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