「遅れている札幌市の不登校対策」(「教育人間塾」)3

先日の教育人間塾で問題提起された村山さんは教育行政サイドからしめされた不登校対策を資料として出された。討議の中でも言われたのだが、札幌市の準備している不登校対策は、文科省のそれよりもはるかに遅れている。
平成15年に文科省の出した「不登校への対応の在り方について」という局長通知は、「不登校問題を子どもの将来への自立への支援」としておさえ、そのためにNPO等とも連携を深めていくべき、とある。また京都市の「不登校生徒の出欠の取り扱い」要綱もきわめて柔軟な対応を示している。ここでは公的に「フリースクール等への通所」という語を使用する(だいたい文科省も含めて「フリースクール」という語は話し言葉では出てくるが文書では決して表に出ない。常に「民間施設」)。

札幌市に対しては、私たちも数年前から市教委の姿勢が問題であり、どうしてもっと積極的にフリースクールへの評価を行わないのか、といった提起をしてきたのだが、なかなかそうならない。道教委よりも消極的である。
例えば道教委は、サイト内に「フリースクール」の一覧表を示している(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/sgg/freesc/freesclist.htm)が、市教委は私たちの要求に対して一貫して消極的否定的である。「フリースクールの選別になる」とか、すべてを把握するのは難しいなどというつまらない理由である。

ただ、市の行政サイドの肩をもつわけではないが、フリースクールへの対応策は学校現場との距離に反比例するのではないだろうか。つまり現場に近ければ「不登校の子どもを学校復帰させるために全力をあげるべきであってフリースクール評価はこのことに矛盾する」というようなことではないか、と想像する。文科省レベルになれば、現場から離れているからある種の客観的視点で「子どもの立場」をいうことができる。

私たちのテーマは、札幌市長が「不登校の子ども支援」と「フリースクールとの連携」を宣言して当選した以上、これまでの態度を大きく手直ししていく必要に迫られるだろう。またそれを求めていかなければならない。
この点でも「学校教育の可能性の拡大」「公教育の充実」「子どもの最善の利益」などをキーワードとした整理をしていくことになる。

今回の「教育人間塾」への村山提案はこれからのテーマの理論的な整理につながるものであった。

 

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