続・黍生山の村夫子(きびゅうやまのそんぷうし)

黍生山の村夫子が「蜂を追いかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

江村

2021年08月14日 04時18分28秒 | 日記

その日暮らしの投稿を続けてきましたが連日の雨で到頭ネタ切れです

こんな時には漢詩の鑑賞

偶には変ったのを載せたいとも思うのですが偶なので気に入っているのを載せたくて

今回も以前に載せた杜甫の七言律詩「江村」です

 

  清江一曲抱村流  清江一曲(せいこういっきょく)村を抱いて流る
  長夏江村事事幽  長夏江村(ちょうかこうそん)事事幽(じじゆう)なり
  自去自來堂上燕  自ら去り自ら來たる堂上の燕
  相親相近水中鴎  相親しみ相近づく水中の鴎
  老妻描紙為棋局  老妻は紙に描いて棋局(ききょく:碁盤または将棋盤)となし
  稚子敲針作釣鉤  稚子(ちし)は針を敲(たた)いて釣鉤(ちょうこう)を作る
  多病所須惟藥物  多病須(たびょうもち)うる所は惟(ただ)藥物
  微躯此外更何求  微躯(びく)此の外更に何をか求めん

 

  清江が大きく曲がって村を抱くように流れている

  長い夏 水辺の村は全てがひっそりとしている

  軒のツバメは行ったり来たり忙しい

  水中のカモメは私に慣れて近づいてくる

  老妻は紙に線を引いて碁盤を作り

  子供は針を叩いて釣り針を作っている

  病気持ちの私に必要なのは薬だけ

  このつまらない男に更に何が要るというのか

 

生涯不遇、流転の身であった杜甫支援者に恵まれ成都近郊に居を構えたこの時期だけが

生涯で唯一穏やかなひとときであったようです

ここで機械屋としては「針を敲いて釣鉤を作る」が気になります

針は焼きが入ってますからそのまま叩いたり曲げたりすれば折れてしまいます

でもその頃(奈良時代)の針に焼きは入ってなかったんでしょうね

明日は杜甫の親友李白です

 

  

コメント (8)
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