続・黍生山の村夫子(きびゅうやまのそんぷうし)

黍生山の村夫子が「蜂を追いかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

良寛

2021年08月22日 04時18分28秒 | 日記

乃木希典の漢詩を載せたとき山小屋さんが感心しておられたので

じゃあ今度は山小屋さんの所の漢詩!って思いまして上杉謙信を載せようと思ったんですが

UPしている途中でもっと好きな人が居る事に気が付きました

以前一度載せた出雲崎の町名主の長男「良寛」です

 

少年捨父走他国   少年 父を捨て他国に走る

辛苦画虎猫不成   辛苦 虎を描いて猫にも成らず

有人若問箇中意   人ありて もし箇中(こちゅう)の意を問わば

箇是従来栄蔵生   是はこれ 従来の栄蔵生(えいぞうせい)     栄蔵:良寛の幼名

 

子供の頃家族を捨て他国に行ってしまった

辛い修行の末に虎を描いても猫にも見えなかった

「おい、あいつ有名に成ったらしいけど今どうしてるんだ?」と聞かれたら

「いやあ、昔の栄蔵のまんまだよ。」と言って欲しい

 

良寛は22歳の時出雲崎に布教に来た円通寺の大忍国仙和尚に認められ

備中(岡山県)の玉島について行きました

家族皆が見送ったと言いますから出奔ではなかったようです

それでも良寛の胸には国を捨てたと言う思いがあったのでしょう

円通寺で修行の後諸国行脚をして40歳の時越後の国上寺の五合庵に住み余生を送ります

良寛の漢詩には無題が多いですがこれは詩を作ると言うより

自分の気持ちを書き留める為だったからではないかと思います

 

ところで謙信を止めて良寛にしたんですが謙信の辞世だけは紹介させて下さい

 

四十九年一眠夢     四十九年 一睡の夢

一期栄華一盃酒     一期(いちご)の栄華 一盃の酒

 

四十九年の人生なんて一睡の夢のようで

一時の栄華なんて一盃の酒ほどのものでしかない

 

あれだけ八面六臂の活躍をした謙信の人生が一盃の酒ほどのものだったとは

果てしない戦いが虚しかったのかそれとも遥かに大きな望みが叶わなかったからなのか…

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする