冬道麻子さんに写メール差し上げましたら、彼女のほうからも顔写真の写メールをいただくことができました。
それに対する私からの再返信も、ついでに記事にしておきます。
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麻子さま
写真は、適当なのがありましたら、また送らせていただくようにいたします。
麻子さんのお写真も、ありがとうございました。
実は、麻子さんは、私の中高校時代の親友によく似ていられ、親近感を覚えます。
この親友は、50歳を超えたころから、だんだん視力が衰えてきて、現在はほとんど見えない状態になっています。 麻子さん同様、顔も整っていますが、目も大きくて綺麗な目をしています。 とても見えない目には見えません。 が、会うたびに視力は衰えていて、最近では、やっと光を感じるくらいになっています。
眼と耳の違いはありましても、お互い障碍者として不遇な生活を送っておりますので、気が合います。 昔から親友であったのでございますが、最近、より絆が強くなったような気がしております。
これは、ひょっとすると、神様の采配かもしれないと思ったりもいたします。
身体に障害がありますことは、よく言われることでございますが、不自由ではございますが、決して不幸ではありません。
これは、神様からの試練なのであって、この試練で私達は磨かれるのでございましょう。 そういう意味では、こういうふうに、障害が与えられた者のほうが幸せなのかもと思うときもございます。
麻子さんは、身体の自由を奪われておられますが、これも、きっと神様からの賜物なのでございましょう。そんなことを思います。
長々と書いてしまいました。
またメールさせていただくようにいたします。
びこ拝