かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

昨年の今日はまだ生きていた母と村形さん

2018-05-16 23:44:02 | ブログ記事
今日は神戸から帰宅して、
買ってきたケーキを食べてコーヒーを飲んでから睡魔に襲われて先ほどまで爆睡していた。

いま目覚めてパソコンを開くと、
gooブログが知らせてきてくれる昨年の記事が届いていた。

そうか、昨年の今日は、帰省して、高知市の得月楼に村形明子さんを招待したのだった。

あのときは、村形さんも、一応まだ元気そうであったし、
母も、老いさらばえてはいたけれども、一応元気だった。

が、たった一年後には、ふたりともいなくなってしまうなんて、誰が予期しただろう。

村形さんが昨年9月5日、母が今年の1月11日。

今度死ぬのは残った私になるのだが、
二人の死の間隔からすれば、ちょうど今日あたりが、その日に当たる。

が、今日、私は死ななかった。

しかし、数日前に夫と別居した。

この別居がの死を意味するのだろうか?

*

・昨年の今日生きてゐし人達が綺麗にゐなくなりし一年(ひととせ)

・今日われが死ぬべき日とは思ひつつ起きてブログを綴る夜半なり

・お迎へはあるいは明日か明後日か短歌五十首作りしあとか

・わが死にて誰か悲しむ人やある子らも子ができその子ら大事

・十余年まへに引つ越しこしここで死ぬらむ一人しづかに

・死ぬことはむしろ福音耳悪しきわれの長生き誰(た)が喜ぶや

・あちらでは父、兄、母が待ちくるる祖父、祖母、叔母も村形さんも

・パスポート申請せしとき写したる写し絵それが遺影とならむ

神戸パスポートセンターに来ています

2018-05-16 12:28:13 | ブログ記事
昨年9月からパスポートが切れていましたが、
母が亡くなるまでは海外は無理と更新していませんでした。

が、今年1月に亡くなったので、更新だけしておこうと。

現在は特に行きたいところはありませんが、
行きたくなったときに間に合うようにと。

大阪のパスポートセンターは何度か行きましたが、
神戸のパスポートセンターは初めてです。

十年のを申請しますが、
私とパスポートのどちらが先に切れるでしょうね。