かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

寂しがり屋は片付けられない?

2018-05-09 23:12:27 | ブログ記事
ぴよよさんというHNの方がコメント欄に

寂しがり屋は片付けられない」

と書いてくれてあって、それはあるかもしれないと思った。

母が生け花に熱中していたのは、仕事であっただけでなく、夫であった私の父を亡くして
寂しかったことも大きかったかもしれない。

最近はやりの言葉でいえば、ワーカホリックである。

私は、50歳から短歌を始めたが、
この短歌は、子供達が巣立って空の巣症候群を呈していたから、
一時はすっかりハマってしまっていた。

今も、まだその余熱は続いている?

が、困ったことに、私は熱中すると、周りが見えなくなる。

それで、短歌の本を買い漁って、それが捨てられない。

現在は、それが膨大な量になっている。

最近は、短歌も少し飽きてきたが、
飽きたら飽きたで、別の種類の本を漁る。

私は活字中毒の気もある。

これは、多分に寂しさからきていると思う。

難聴で家に閉じこもり勝ちだから、その空虚を埋めようとして、活字を求めるのだ。

が、ネットに関わるようになってから、ブログを書いたり読んだりするようになって、
ますます読む時間がなくなり、買ってもたまる一方である。

が、本の宣伝を見ていると、つい読みたくなって買ってしまう。

もちろん図書館にあれば、図書館のを借りる。

これがまた最近では、読めないまま返却してしまうことが多い。

本を読むためには、ブログを含めてパソコンに向かうことを止めなければならない。

時間には限りがあるから。

*

・寂しさを埋めむとして堆(うづたか)く積まれし本に囲まれてわれ

・読める量(かさ)予測せぬまま買ふゆゑに嵩張り溜まる本に囲まる

・死ぬまでに読み切れぬ量(かさ)買ひ置きて部屋を狭めてゐる人はわれ

片付けには遺伝的な要因も絡んでいる?

2018-05-09 10:41:03 | ブログ記事
私の母は片付けのできない人であった。

若い頃はまだしも、年取ってからは重症であった。

だから死後、義姉も甥の奥さんも母のものを捨てに捨てた。

どうしてこんなものまで取っておくのかと思うものまでおいてあった。

私は、母には経済的に、ずいぶん世話になったから、

以前は定期的に片付けに帰っていたが、年々ひどくなり、泊まることは愚か、
母の部屋にいることも難しいくらいになっていた。

それで数年前からは泊まることは諦めてホテルに一緒に泊まるようにしていた。

母の部屋では食事もできない状態だったので、
窮余の策で外食しても、
食べるのに時間のかかる母がお店に迷惑をかけてしまうので、
思案した結果、出した結論は食事つきでホテルに泊まることであった。

それは亡くなる時まで続いて、
母は今年1月10日に某ホテルで一緒に夕食を摂った翌朝亡くなった。

娘の私と最後の食事を共にして、私の横で死ねた母は本望であったかもしれない。

が、こういうやり方を見つけるまでは、

私が帰省するたびに母を責めるものだから、
母は死ぬなどと口走ったことさえあった。

旅行好きだった母は、
旅行したら、その旅行記を克明につけていたし、
その膨大な写真もきれいに整理していた。

だから、片付けの能力がまったくないというわけでもなかったと思う。

何が原因で家の中がそうなったかということは、簡単には結論づけられないが、
まず一つには、母がものを捨てられなかったということが挙げられる。

それから、
外交的な性格が災いして、家の中を片付ける時間を取らなかったということもあった。

それから、
躁うつ病の父のため、経済的に辛酸を舐めさせられて、
家事を捨てて働いて私達兄妹を育てる必要があったということもあった。

父は躁鬱の躁期になると、
家にお金を入れずに給料を使い果たした。

父方の祖父が生きていたころには
経済力のあった祖父が衣食住の面倒をみてくれていたから、
生活に支障がなかったが、祖父が亡くなってからが
母の真の苦労の始まりであった。

経済的に困窮したから捨てるべきものも捨てられなくなったという面はあったと思う。

という理由はありながらも、

素質的に片付けのできないところもあったと思う。

というのが、母の母である祖母も、片付けが得意という人ではなかったし、
祖母の妹の大叔母にいたっては、私の母以上であった。

大叔母は恋愛の末に広島県の旧家の義大叔父さんと結婚していたが、
その晩年は、広大な屋敷は足の踏み場もないくらい物があふれていた。

この大叔母には子供が生まれなかったので、養女をもらって育てたが、
この養女は美人であるだけでなく、家事も万能の人であったから、
嫁いでからも定期的に養家である大叔母の家の片付けに帰っていた。

が、
月に一度帰省して片付けて帰っても、
次の月に行くと元の木阿弥になっていると泣いていると母に聞いたことがある。

が、母も晩年は、この大叔母と全く同じになっていたのだ。

私は実娘であったため、
この大叔母の養女と違って遠慮がないので、母を叱りまくった。

が、最近、私がだんだん母のようになってきているようだ。

夫にも叱られるし、子供達にも、もっと家の中を綺麗にせよと言われる。

自分では母とは違うと思っていたが、どうやら母に似てきたらしい。

なぜ似るのだろう?

結婚前には
行儀見習いと称して
お大家に住み込んで家事を仕込んでもらったりもしたのに・・・。

遺伝的な要素もあるのだろうか?

それとも、親のすることを見て育っているから、無意識に真似てしまう?

が、
私の娘は片付け上手で、家の中はいつもきれいにしている。

これは、娘が義母と暮らしていたから、義母の影響が大きかったということか。

義母は片付け上手な人で、認知症になるまでの家の中はいつもすっきりしていた。

夫も片付け上手だ。

娘は、その遺伝子を受け継いだのか。

が、義母の娘の義妹は片付け上手ではなく、家の中は結構雑然としている。

思い返してみれば、義父のお姉さんたちも、片付けは上手でなかった。

義父の長姉は医家に嫁いでいて、裕福だったので、
私は季節ごとの衣類など買ってもらったりしてよくしてもらったが、
家の中は、いつ行っても、けっこう雑然としていたし、

義父の直近の四姉は嫁いでからも実家である私の婚家に家族ごと暮らしていたが、
帰省した私達の世話はよくしてくれたが、家の中は決して片付いている状態ではなかった。

義妹は、その伯母さん達の遺伝子を受け継いだ?

世の中、断捨離が大流行りであるが、片付けには遺伝的なものも絡んでいるとしたら、
いくら断捨離の勉強しても、実行は難しいかもとも思ってしまう。

が、
母も大叔母も片付けは下手だったが、経済力はあって、
比較的晩年は裕福だったし、夫の伯母さん達もそうであった。

こういうことをいろいろ考察していると、論文が書けそうにも思う。