かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

これは心臓のせい?あるいは老化のせい?

2018-05-08 11:18:52 | ブログ記事
昨日、次男が急に来て泊まったことは書いた。

私は、最近、早寝早起きというか、
超早寝して夜中に一度起きるパターンで生活している。

昨夜も夕食を終えて9時ごろに猛烈に眠くなり、夫より次男より先に寝た。

いつも通り、夜中の1時過ぎに一度起きて、
夕食の食器の洗い物や、朝のパンを焼いておくため、
パン焼き機に材料を仕込んだりした。

その後、ブログを書いて、二度寝した。

朝、次男に、昨夜あらった下着が乾かないと起こされた。

着替えのなかった次男は、私が寝たあと、
シャワーを浴びて下着を自分で洗って干したらしかった。

が、脱水もせずに干していたから、朝になっても、まだ濡れたままだった。

それを寝ぼけまなこでアイロンがけしたが、かけてもかけても乾かない。

そうこうしているうちに、次男の出勤時間が迫ってきた。

夫が次男の会社まで送ってやるということになり、
私も急に一緒に行きたくなって、ドアの閉まった直後の車を追いかけた。

わが家は袋小路の住宅地だが、その袋小路の出口まで走った。

が、二人に気づかれずに積み残された。

帰宅してから、もう2時間くらい経つが、まだ心臓が正常でない。

子供や孫たちが来て、いつも痛感すること。

それは、私の体力が足りないということ。

何かしてやろうとしても、若い時のようにはしてやれない。

すぐに息切れするし、一仕事すると一休みしないといけない。

これは、やはり心臓が弱いからなのか、
あるいは70歳という年齢的なものなのか。

夫は現在73歳だが、
自宅で仕事をした上で、テニスにも行くし、あちこちの集まりにも出る。

私はごはんを三食作ったら、
あとはブログを書くとか読書するとかくらいしかできない。

この体力の差は何だろう?

やはり心臓のせいか。

が、誰もこのしんどさをわかってくれない。

夫は私の行き届かないところに不満をもっていて、子供達にも言う。

難聴の私が電話できないので、子供達への連絡役は夫で、
夫の言い分ばかりが子供達に伝わる。

それと、
長男、次男の二人のお嫁さんの家は、お母様たちがお掃除上手で、
いずれのお家もホテルのように綺麗にしていられる。

だから息子二人は私のやり方が悪いように言う。

が、娘婿のお母様は60歳くらいから足を悪くされているから、
料理以外の家事はほとんどお父様がなさる。

娘婿のお母様はお買い物が好きで、
それでいて、あまりものを捨てない人だから家の中は結構いっぱいである。

が、娘婿のお父さんは愛妻家だから、お母様の買い物好きを咎めたりしないで、
黙って家事をなさっている。

この娘婿のご両親は同い年だが、お出かけしたら、
車いすのあるところでは、お母さんを車いすに乗せてお父さんが押される。

お母さんの足が痛くならないようにと。

少しは娘婿のお父様を見習ってほしいと思うが、
思ったら顔に出るから思わないようにしている。

娘婿の家は、お父様がそんな方だから、
娘婿兄弟三人も母親思いで、また奥さん思いでもある。

そういう意味では、
娘はいい人と結婚できて大事にしてもらえてよかったと思っている。

*

・息切れをして人並みに働けぬわれを責めるは健康な夫

・子供らにわれの掃除の至らなさ言ひあげ味方にするはわが夫

・わたくしがゐれば喜ぶ母亡くしわれも亡くなりたきときのあり


お金のことは言いたくないけれども

2018-05-08 02:30:00 | ブログ記事
別居すると言って、
今月から生活費を半分にされたのに、夫はほとんどいる。

今月から神戸に引っ越した次男も昨日も来た。

引っ越し先に買った新しい冷蔵庫が
入居したタワーマンションの梁にかかって入れられなかったので買い替えた。

その冷蔵庫がまだ届かなくて、お嫁さんと孫はお嫁さんの実家に戻ったから、
独り神戸に帰っても仕方ないので、会社から近い我が家に来たのだ。

怒鳴ったりしなければ夫がいてくれることは嬉しいし、次男が来てくれることも嬉しい。

なにしろ私は家族にごはんを食べさせることが生きがいだから。

が、

私一人なのと、男が二人加わって食べるのとでは当然食料の必要量が異なってくる。

私はほとんどおしゃれをしないから、もらったお金の大半は食費になる。

食費はケチりたくない。

が、もらうお金に限りがあればケチらざるを得ない。

結婚以来、専業主婦としてやってきたから、人に食べさせるのは好きだ。

子供三人の食べ盛りの食費はそれは気の遠くなるほどであった。

わが家は皆、体格がいいから余計に。

長男は185センチ、次男は181センチの長身である。

食べ盛りの時期は教育費のかかりどきでもあった。

私はほとんど外に働きに出なかったから、毎月のやりくりで凌いだ。

実家の母にも、ずいぶん助けてもらった。

三人の子供達は、皆、大学、または大学院を卒業させた。

長女は私立薬科大、長男は私立大学工学部で、
次男は国立大ではあったが、下宿させて大学院まで行かせたから、
他所の倍かかったかもしれない。

が、とにかく必死になって育て上げた。

さあこれから楽ができるという時期になって、立て続けに病魔に襲われた。

心臓弁膜症と大腸癌である。

心臓はもともと悪かったようだったが、死にかけたのは55歳の時だった。

次男が大学2年で下宿を始めた直後だった。

せめて子育てのさなかでなかってよかった。

これは、やはり神様が、ご先祖様がそう取り計らってくださったのだろう。

そういう意味では病気になったことにも意味があったのだと思う。

それを思えば、
今こうして、夫と危機を迎えていることにもなんらかの意味があるのだろう。

今月生活費を半分しかもらわなかったといっても、
生協に入ってから常に多めに買い込んできたから急に食料が尽きることはない。

まあそのうち、また何とかなるだろう。

*

・別居するはずの夫は別居せず家に居続けゐるなりその後

・引つ越しを次男はせしが神戸よりここ川西が帰るに近し

・これからは独りになると思(も)ひゐしに独りにならず夫も次男も

・人生はなるやうにしかならぬことこれまで生きてきて学びたり

・心臓を治し大腸癌とりてまだ生きてゐるわれにあらずや