30日は朝いちばんに大連港に行きました。
かつては賑わった港なのでしょうね。
日本人の引揚者たちも、この大連港から舞鶴とか敦賀とかに引き上げてきたのでしょうか。そう考えると、感慨深いものがありました。
余談ですが、到着時からガイドしてくれていたガイド氏が、昨日午後、自宅が水浸しになったとかで、午後から急遽、別のガイド氏に交代しました。
交代したガイド氏は、まだ30代くらいの人でしたが、少し日本人的な雰囲気だと思って見ていると、なんとガイド氏のお祖父さんは日本人の残留孤児だったそう。
血は争えないと感じ入りました。
ガイド氏のお祖父さんは日本に帰国の叶わなかった残留孤児だったのですね。
お祖父さんはまだ存命ということでしたから、ひょっとすると、われわれより少し上の年代くらいの人だったかもしれません。
どういう思いで、第二次世界大戦後を生きてこられたか、同じ日本人として、いろいろ思わされました。
大連港から街のほうも撮影しました。↓
その後、私達は東方ベニスに呼ばれる街の散策をしました。
逆光でわかりにくいですが、この写真に写っている橋↓はベニスの橋を模しているようです。
橋の下は海の水が、ベニス同様、川のように流れています。
ベニスだけでなく、ヨーロッパの国々の主な建物を模してありました。
写しませんでしたが、パリの凱旋門もありましたし・・・。
日本の、和歌山のスペイン村とか長崎のハウステンボスに似ているかもです。しかし、前日の星海公園と同様、入場料は無料でした。
私は連日の強行軍で疲れていたので、実際のところ楽しむどころではありませんでした。
その後、この似非ヨーロッパの街から海沿いのウオーターフロントをかなり歩きました。↓
私には辛い戦時中の行進のようでありました。などと書くと旧日本軍の人達のお叱りを受けるかもしれませんね。
その後、民芸品店に案内されましたが、私は琥珀のネックレスを日中友好のために?衝動買いしました。
ツアー仲間に、よく似合っているとお世辞を言ってもらいましたが、こういうネックレスをつけるときは、もっとドレスアップしなくっちゃあ!
が、年配の私でも違和感なく付けられるネックレスではあると思いました。
実は前日、真珠の専門店にも案内され、そこで私は金色に光る真珠に心惹かれたのでしたが、私が付けるには少し派手だったので、買うのを諦めたのでした。
大連は、日本の真珠養殖の技術を学んで、様々な色の真珠を生産しています。
日本の真珠は確か阿古屋貝から作りますが、大連の真珠はアワビから作るのだそう。
そのアワビの貝殻を見せてもらいましたが、緑色や黒色や金色に光って貝殻そのものも非常に美しいものでした。
私が少し色気を示したせいで、店員さんがしつこく真珠を奨めてくれるもので、美しいアワビの貝殻を写真に撮り損ねました。
大連のアワビの身は筋肉が強すぎて、食用にするのには硬すぎるのだそう。
この日の昼食は餃子料理でしたが、皮が分厚くて、私的には日本の王将の餃子のほうがおいしいと思いました。
連日脂っこい料理ばかりなので、食傷気味でもありました。が、この写真の真ん中に写っている揚げた豚肉とネギの炒め物みたいなのはおいしかったです。
お店の入り口近くにあったお魚を撮影しておきました。
貝類も種類が豊富でした。
午後は日本人街へ。
ガイド氏によると、この住宅地の住宅の価格は日本円で2億円以上だそうで、最近は、中国人は安い日本の住宅を買うのだそう。
これが住宅地の地図です。日本人は現在20名くらい住んでいるそうです。
日本人住宅地の街並みです。当時の日本人たちはエリートだったのでしょうね。
銀行でもなさそうだし、何のお店でしょうね。↓
こちらは和食店のようです。「ふぐ」「割烹」と日本語で書かれてありますね。
こちらは「日法」と書かれてありますが、ガイド氏によると、日本とフランスの料理を出すお店なのだそう。
どこかで結婚式があったようで、花嫁さんが家に入ろうとしていたから写させてもらいました。↓
こういう古い建物も残っているんですね。明治時代のものでしょうか。
かわいい女の子がお祖父さんに三輪車を引っ張ってもらっていたから、写させてもらいました。
このあと、「ありがとう」とお礼を言うと、女の子はにこにこ笑って手を振ってくれました。
日本人町を見た後は、またバスで大連城市歴史企画展示館へ移動
「大連市現代展示中心」とでも書かれているのでしょうか?↓
同じ漢字の国といっても、中国のは簡略字体が多いから意味不明なものも多いです。
28日にご紹介した大連市の中心にある中山広場のジオラマです。↓
ジオラマの周囲はわれわれが中山広場にいるかのように錯覚させる壁になっています。
これも大連の街全体の立体的地図です。右下方の海の中の赤い線が28日、29日の記事等で何度もご紹介した大連星海湾跨海大橋です。
地図で見ていただくとわかりやすいと思います。関西の湾岸線のようなものですね。
もう一枚角度を変えて写しておきました。
観覧者が大連の中山広場とか大連星海湾跨海大橋に実際にいるかのような臨場感のある写真が並んでいます。
広い大連城市企画展示館の館内を歩き回ったあと、大連のロシア人街に案内されました。
もうへとへとでしたが、せっかく来たからにには見て帰らないと。
「大連ロシア風情街」と書かれてあるようですね。↓
↑下方には日本語風に「露西亜(ロシア)町旧址」と漢字で書かれてあります。
ロシア人街といっても、当たり前ですが、ロシア人は一人もいず、中国のおばちゃんがロシア人形などを売っているだけの街です。
が、往年の雰囲気は何とか味わえます。
ここまで歩いてきてUターン。
想像力を働かせながら歩かないとロシアは感じられません。
と、まあこんな具合です。
ロシア人形も売られていますが、売っているのは中国のおばちゃんたち。
中国のおじさんが売っている店もあります。
このあとはオプショナルツアーに申し込んだ人達だけがガイドさんに連れられて大連市内を走る路面電車乗車とかを体験しました。
この写真の右側に写っている電車↓に体験乗車しました。
路面電車に乗りました。
夫が、わざわざ申し込んでくれたから乗りましたが、私的には、故郷の高知市内を走る土電(現土佐交通)の電車と酷似していたせいか有難みはあまりありませんでした。
違っているのは、電車の後部に車掌さんと思しき人↓が乗っていることくらいでしょうか。
電車は魯迅通りという大通りを走りました。古い町らしいです。
連れていかれた場所は市場です。
市場に行く途中の建物に「老年大学」と書かれてありましたから、老人の私は興味をそそられました。
中国の老人たちもカルチャースクールのようなところに通うのでしょうか?
市場です。
まず果物屋さん。大連はサクランボの産地のようです。
写っているのは大きなサクランボですが、日本のサクランボと同じようなのも売っていました。食べたツアー仲間の人に聞くと、日本の山形のサクランボのようなおいしさは期待できないと。
牛肉が生肉のまま売られているのも珍しい光景でした。
でも冷凍した肉よりおいしいんでしょうね。
この甕にはお酒が入っているようでした。
乾物品のお店です。
日本人のわれわれには料理の仕方がわからないから誰も買いません。
市場の前には日用品を売る店も並んでいました。
市場見学のあとは、またバスに乗り込んで大連駅前に運ばれました。
大連駅もかつては賑わった駅なのでしょうね。
大連駅前に「九州~酒店」というビルが見えたから写しておきましたが、日本の九州とは関係ないようでした。
酒店というのも、飯店というのも、中国ではホテルのことなのですね。中国でのホテルの成り立ちのわかる漢字名だと思いました。
明朝は帰国の途に就くから、これが最後の晩餐です。
最初に出てきたのはヒラメの刺身。↓
あとの料理も一応全部撮影しておきました。
このケチャップで味付けしたエビはおいしかったです。皆もそうだったようで、すぐ売り切れました。↓
こちらのマーボー豆腐がひどく辛いことがあるから、私は取りませんでした。↑
3日間油料理の連続なので、少し食傷気味です。
家であれば、有難い品数なのですが・・・。
このレンコンにひき肉を挟んだ料理はおいしかったです。↓
これで大連ツアーは大体終わりですが、あと昨日の帰途の記事も、また後で書きます。
乞うご期待?(笑)
私は、今日は今から歯科医(中国では「口腔」)に行ってきます。