かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

またAmazonから怪しいメール

2019-06-25 18:31:16 | ブログ記事

皆様への注意喚起のためコピー&ペーストして記事にします。

送られてきたのは以下の文面です。

 

~様 

Amazonをご利用頂きありがとうございます。お客様のAmazon会員資格は、2019/06/19に更新を迎えます。お調べしたところ、会費のお支払いに使用できる有効なクレジットカードがアカウントに登録されていません。クレジットカード情報の更新、新しいクレジットカードの追加については以下の手順をご確認ください。 

  1.  アカウントサービスからAmazon会員情報を管理するにアクセスします。
  2. 三井住友カードに登録したhttps://www.amacojp.com/ のアカウントを使用してサインインします。
  3. 左側に表示されている「現在の支払方法」の下にある「支払方法を変更する」のリンクをクリックします。
  4. 有効期限の更新または新しいクレジットカード情報を入力してください。
    Amazonを継続してご利用いただくために、会費のお支払いにご指定いただいたクレジットカードが使用できない場合は、アカウントに登録されている別 のクレジットカードに会費を請求させて頂きます。会費の請求が出来ない場合は、お客様のAmazon会員資格は失効し、特典をご利用できなくなります。 

    Amazonサポートカスタマーサービス。https://www.amacojp.com/

スマホで人は馬鹿になる?

2019-06-25 10:43:18 | ブログ記事

う~ん、そうも言えるかもしれないけれど、そうでないとも言える。

パソコンを含めて、こういう電子機器によって、

私達聴覚障碍者は大きな恩恵を被っている。

もし、パソコンが、スマホがなければ、

私達の情報障害は今も解決していない。

いくら聴覚障碍者のために手話があると言われても、

私などのように、ふつうの教育機関で育って、周囲に聴覚障碍者がいない人間は

手話を覚えたところで世界が広がるわけではない。

それよりパソコンを含めたスマホなどで交流できるネット社会のほうの恩恵が大きい。

パソコンを始めるまでの私の世界は本であった。

が、本は一方通行である。

パソコンを覚えてからは自分から発信できるという歓びが増えた。

人と対等に付き合えるという立場を確保することができた。

で、偉い学者たちが、

その私達には福音であったネット社会が人の頭を悪くすると言っても、

じゃ、私達のケースはどうなる?とお聞きしたい。

私は、こうした機器に繋がれるようになって頭がよくなったと思っている。

こうして世界が広がることが、頭を悪くするはずがないと思う。

SNSに繋がるから頭が悪くなると言われても、

私達にはSNSに繋がることの恩恵は計り知れない。

私はゲームはしないが、

ゲームをすると頭が悪くなるという言い分も素直には宜えない。

むしろゲームをして頭がよくなることもあるのではと推察する。

少なくとも瞬発力、危機に対する対応力は磨かれるだろう。

ただ

ゲームをはじめ、こういう機器に時間をとられて勉強する時間が減って成績が下がることはあると思う。

が、それは頭が悪くなるのとは別物だ。

と、もう一つ言えば、学校の勉強ができて、それがどうした。

学校秀才は、単に記憶力がいいだけであったりするではないか。

その証拠に最難関の大学を出ても、社会に出て役立たずはごまんといる。

かつてテレビが出始めたころ、テレビを長時間視聴すると頭が悪くなると言われた。

が、そんなことはなかったはずだ。

もし頭が悪くなるのであれば、それはもともとその人の地頭が悪かったのであって、

テレビの視聴によって頭が悪くなったのではなかろう。

私は今でも、テレビの番組からは、ずいぶん勉強させていただく。

いま一番のお気に入りはブラタモリだが、

あの番組では地理、地学が楽しく学べる。

学べることが面白くてたまらない。

それから料理番組もよく見る。

料理番組では料理の仕方を学ぶだけではなく、

最近の食材も知ることができる。

こういうことを教えてくれるテレビの視聴が頭を悪くするのであったら、

いったい何が人の頭をよくするというのだ。

語弊を恐れずに言えば、

こういう馬鹿な論を繰り広げる学者先生こそ頭が悪い。


レジ袋の削減よりも

2019-06-25 04:45:34 | ブログ記事

もっと先にやらなければならないのは、

果物や野菜をプラスティックトレーに入れて売る方式ではないだろうか。

現在もスーパーでは当たり前にそういう売り方をしている。

スーパーの販売方式から、そういう形になるのは理解できないこともないが、

消費者からすれば、明らかに無駄である。

トマトなどもそうされている場合が多いが、

買ってきて出せば、たちまちゴミである。

それと比べれば、

レジ袋はまだゴミ袋に再利用するなどの利用価値がある。

それに全く無くしてしまわれたら、

お出かけした帰途、買い物をしたときなどに困る。

確かに今までは、もらいすぎるレジ袋が無駄になっていた。

溜まるから定期的に捨てなければならなかった。

が、買い物袋持参が推奨されるようになってからはそういうことはなくなった。

少なくとも、私はなくなっていた。

たまにもらうレジ袋はゴミ袋として消費できていたし、

使用後も綺麗なレジ袋はハンドバッグにしのばせておいて、

お出かけ時の少量の買い物の買い物袋に再利用することもあった。

図書館に行くときも、最初から大きな袋を持参するのではなく、

普通のカバンに綺麗なレジ袋を入れていけば、

たくさん本を借りてもレジ袋に入れて帰ることができた。

今までは多すぎたからいらないと思っていたが、

これが全くなくなると困る場面も多くなる。

現在レジ袋が悪の権化のように言われるのは、

聞くところによると、捨てるときのマナーの悪さから来ているという。

すなわち、

コンビニなどで食べ物を買って食べた後、

それをどこにでも捨てるから、そのゴミを入れたレジ袋が海洋汚染の原因になったりしていると。

人々がそれを止めてきちんとゴミ箱に入れて回収してもらうようにすれば、

そういう問題は激減するらしい。

そんなことを聞くと、

レジ袋に対する過剰な対応は濡れ衣のような気もしてくる。

最近の芸能人の不倫などに対する過剰な報道と同じで、

集団ヒステリーのような印象も受ける。

もちろん現在のように使いすぎるのはよくないが、

しかし、全くなくしてしまうのには、私はもろ手を挙げて賛成することはできない。