奥田英朗さんという方の言葉だそうです。
今朝、コメント欄で教えていただきました。
私もそう思います。
ふだんは日常に取り紛れて忘れていますが、
人は根本的に死にたいと思いながら生きているかもしれません。
それを防ぐために結婚があり、子育てがあり、宗教があるのかもしれません。
親が生きている間は親を悲しませたくないという気持ちも強いです。
実際、親は子に先立たれるとひどく悲しみます。
私も、自分はいつ死んでもいいと思っていますが、
子供に先立たれるのは絶対いやです。
夫に先立たれるのも、昨日書いた通り、受け入れることができません。
そうならないためにも、早く亡くなりたいのです。
昨年までは母が生きていましたから、生きている必然がありましたが、
今は、私が死んでも、それほど悲しむ人はいないと思います。
子供たちもそれぞれ家庭を持って、子供を育てていますから、
親の私がいなくなっても困ることもないと思います。
夫は、私がいなくなれば、せいせいする?(笑)
まあ元気な人ですから、困ることはないでしょう。
吉田兼好は
「人は四十路には死なむ」と言いました。
昔の四十歳ですから、現在なら60歳くらいでしょうか。
そのくらいに死ねたら女性もまだ色香が残っていて惜しまれると思います。
男性もまだまだ仕事盛りだから惜しまれるでしょう。
だから本人のためには、そのくらいで死んだほうが幸せということになるのかもしれません。
私は今年71歳になりましたから、少し生き過ぎたと思っています。
ですから、お迎えがくれば、速やかにこの命をお返ししたいと思います。
そう望んでいれば、神様もそうしてくれるかもしれませんね。
ただ一つ、曲がりなりにも歌を作っていますから、
後世に残る歌の一つでも詠ってから死にたいと思うのですが、
これは執着になるでしょうか?
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★死ぬまでにまともな歌のひとつでも詠ひて死なむ歌詠みわれは
★欲出せばろくなことにはならぬとぞ思(も)ひつつ思ふ歌詠むわれは