かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

メディアの影響は大きい

2019-06-30 14:42:46 | ブログ記事

新聞をはじめ、こうしたネットも含めてメディアの影響は非常に大きい。

我が家は長い間、朝日新聞を購読していた。

が、むかし全学連の闘士だった人に、

朝日は偏向しているから産経新聞にするように勧められてから、

がらっと世の中の見方が変わった。

朝日新聞を購読していた頃は自虐史観に染まっていた。

敗戦国日本はいっぱい悪いことをしたと思わされていた。

が、産経新聞を購読するようになって、

まったく逆の見方ができるようになった。

今になれば、産経新聞を勧めてくれた全学連の元闘士の方に感謝している。

それにしても、

全学連といえば、革命思想にかぶれた左の集団ではなかったか。

その闘士だった人が、どういう経緯かはしらないが、

右になっていたのである。

よほど何か思うところがあったのであろう。

私も、あのまま朝日新聞を読んでいたらと思うとぞっとする。

そうでなくても、

現在、日本は反日国に名誉を傷つけられまくりである。

あのまま朝日新聞を購読していたら、

ここまで侮辱されているのに、

相変わらず、

「日本が悪うございました」と思っていたことだろう。

自虐史観からは逃れられたのであるが、

同じ保守派でも考え方は様々である。

私は安倍さんはよくやってくれていると思っているが、

そう思っていない人もいるようである。

が、

私達は、実際の安倍さんと会ったわけでもないし、

まして膝を割って話しをしたわけでもないから、

本当のところはわからない。

結局、新聞を始めとするメディアによってしか知ることができない。

どういうメディアを選択するかは私達に委ねられているが、

しかし、

その選択すら、メディアに依存することが多い。

せめて間違った選択に誘導されないよう、

日ごろから自らのアンテナを磨いておくしかない。


難聴者には短歌しかない

2019-06-30 12:20:09 | ブログ記事

聴覚が正常な人は様々な楽しみが持てる。

会話の楽しみも持てるし、音楽の楽しみも持てる。

が、私達聴覚に障碍のある者はそういう楽しみは持てない。

会話する楽しみの代わりに読書する。

音楽の楽しみの代わりも、やはり読書になる。

が、インプットばかりだと息が詰まってくる。

たまにはアウトプットもしたい。

そういうときに打ってつけなのが短歌だと私は思っている。

が、短歌はその秀劣を競う文芸でもある。

短歌を楽しみたいと思っても、その競争に巻き込まれる。

で、自称、他称、歌人という属性の人たちは日夜その技術を磨くことになる。

しかし、私などは技術を磨きあげた歌より、

心から溢れるものを溢れるままに訴えた歌が好きだ。

その心の発露の歌を選者と呼ばれる先生方はバッサバッサと落とす。

それで出詠するのがバカバカしくなって歌を出すのを止めていた。

しかし、私は自分が詠うのも好きだが、それ以上に人の歌を読ませてもらうのが好きなので、

インターネット歌会には続けて参加していた。

が、出詠していない私が発言すると、

出詠していない者は発言するなというようなことを言う若い人がいた。

そんな若い人に、そんな偉そうなことを言われる筋合いはないから歌会はやめた。

そのとき歌もやめられたらよかったのだが、

難聴者の私には歌は生きがいだからやめることはできない。

で、考えた。

歌以外にも楽しみを求めることのできる人達こそ、

歌をやめたらどうかと。

歌を読むということは、人の心を推し量るということと同義である。

歌しか楽しみの持てない人間に、

こういう残酷なことが平気で言える人こそ、

私は歌に関わるべきではないと考える。

歌は上手く詠えるに越したことはないが、

しかし上手く詠うということのみが目的になって人の心を推し量ることのできない人に、

歌に関わる資格はない。