かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

私も大阪城にエレベーターがあることに違和感を覚える

2019-07-01 11:59:39 | ブログ記事

安倍さんが「大阪城にエレベーターをつけたことは大きなミスだった」と

外国首脳陣に言ったということが問題になっている。

なぜこんな言葉が問題になる?

私には揚げ足取りに見える。

私も大阪城にエレベーターがついていることには違和感がある。

それで30年以上大阪市民であったが、大阪城には上がらずじまいである。

名古屋城はエレベーターがついていないと聞いて登城させてもらったのに。。。

私は建て替えであっても、お城にはエレベーターをつけてほしくない。

再建するのだったら、昔の状態を再現してほしい。

安倍さんの発言に対して、

障碍者からバリアフリーの時代に逆行する発言とクレームがついたらしい。

私も障碍者だから言わせていただくが、

大阪城にエレベーターがあることに違和感を覚えることがバリアフリーに逆光するという

その受け止め方こそ問題があるのではないか。

現代は高いところから景色を眺めたければいくらでもそういう場所、施設はある。

大阪市内であれば、

梅田には空中庭園があるし、阿倍野にはハルカスがある。

何も大阪城だけが、高い場所から景色を眺められる場所ではない。

大阪城も、どうしてもというのなら、

昔の人ならそうしたであろう人力に頼んで上がればいいのである。

大阪城は歴史的遺産の再現であって、文化施設ではない。

そこらへんは、障碍者といえども履き違えてはいけないと思う。

こういう見当違いな文句を言っていると、

もっと正当な文句を言ったときに、

私達障碍者の声がしかるべき人々に届きにくくなることを逆に懸念する。


結婚も決していいことばかりではないけれど

2019-07-01 09:59:18 | ブログ記事

結婚しなかった、あるいは結婚できなかった人たちには、

永遠に憧れなのでしょうね。

童話の世界でも、

最後は素敵な王子様と結婚してハッピーエンドで終わるものが多いことを考えてみても、

女性には結婚は幸せへのパスポートのように思えるのでしょう。

しかし、そのハッピーエンドが厳しい人生の始まりにもなることは、

結婚した女性はみんな知っています。

それを知るため結婚すると言っても過言ではないかもしれません。

もともと人は苦労するため生まれてきていることを知れば、

それは結婚した人にも、しなかった人にも、

形の違う苦労が平等に訪れるものだと思います。

少なくとも、結婚した人間は、その体験からそのからくりがわかるのですが、

未婚のままの人は

何歳になっても憧れの王子様を待ち続けます。

それは、ある意味、幸せなことであるかもしれません。

結婚という現実にまみれることがなければ、

記憶の中の王子様は、いつまでも王子様のままですから。

未婚の人に教えてあげたいことは、

いくら理想の人と結婚できても、

その理想の人は想像していたような人ではなかったかもしれないし、

結婚相手が運よく理想通りの人であったとしても、

そういう人には、たいがい信じられないような親族がいたりします。

いわゆる嫁姑問題の勃発ですね。

それもなく、幸せだったとしても、

今度は子供が思うように育ってくれない苦労が待っています。

運よく思うような子育てができても、

子供は思春期に変貌します。

それまで親の思うように育ってきた子に限って、

突然問題を起こしたりするのです。

そういう事件は最近多いですね。

そういうことまで体験すれば、

結婚というのは、

決して幸せへの近道ではないことがわかります。

が、それがわかるのも、私が結婚できたからであって、

結婚していなかったら、いつまでも夢見の人間であったと思います。

その点だけは、私は結婚して賢くなれたと思っています。

 


自殺するという人に

2019-07-01 03:12:00 | ブログ記事

「はい、そうですか」とは言えないので、

なんとか思いとどまってほしいと、いろいろ書いて送りました。

すると、

そんなに言うのなら、「ご主人と離婚して世話をしてくれますか」と言ってこられました。

そう言われて、私も「はい」とは応えることはできません。

私自身、人様のお世話できるほど身体が丈夫ではありませんから。

それで安易に「自殺を思いとどまってほしい」と書いたことを謝りました。

私こそ、ときどき死にたくなる人なので、

自殺したいという気持ちはわかるのですが、

だからと言って打ち明けられて「どうぞどうぞ」と言うわけにはいきません。

先日も書きました通り、

大半の人は死にたい気持ちを持ちながら生きていると思うのです。

しかし、簡単に死なない、死ねないのが、また人というものです。

それは道徳的な事情ばかりではありません。

だから「死にたい」、あるいは「決行します」と打ち明けられたら、

なんとか思いとどまるように説得するのが人だと思います。

が、それに対して、

「ご主人と別れて世話をしてくれますか」とまで言われたら、もう何もいえません。

たしかに我が家も一時は大変になっていました。

が、現在は落ち着いています。

それなのに、わざわざ離婚など考えることはできません。

よかれと思って言ったことが、こういう受け取り方をされるのは心外でありましたが、

彼女の場合は仕方ないかもしれません。

私も余計なことは言わないで、もう黙っていようと思います。