かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

障碍者施設のセクハラ

2019-07-06 19:39:58 | ブログ記事

私は、この歳になっても、世の中にこんな理不尽な出来事があるなど思っていませんでした。

寝た切りの人が収容される障碍者施設では日常的にセクハラが行われていると聞きました。

まさかと思った私は「考えすぎでは?」と言いました。

すると、

「びこさんは甘い。現実を知らない」と言われてしまいました。

私は義母の世話をしていたころ、義母は何人もの男性ヘルパーさんのお世話になりました。

その中にセクハラをしそうな人は一人もいませんでした。

ただ義母は

入浴介助のとき、お風呂場で男性ヘルパーさんが見守るのが嫌とは言っていました。

が、同じ介助を受ける立場のお婆さんが義母に

「そんな恥ずかしがる歳か」と一喝してくれたようで、それ以後あまり言わなくなりました。

だから私は、介助してくれる男性ヘルパーさんの問題ではなく、

介助を受ける側の問題のように思っておりました。

が、現実は、そうではないそうです。

と被害者の障碍者の方から聞いても、未だに信じられない私ですが、

身体障碍者の世話をする立場のヘルパーさんがセクハラまがいのことをするなんて

考えたくも、信じたくもありません。

そのメールを読ませてもらってから、私は少し鬱になっています。

障碍者セクハラが万一事実なら、なんとかしなければ!


人はなぜ若く見られたがる?特に女性は

2019-07-06 16:57:28 | ブログ記事

若く見えて、どんなよいことがあるというのだろう?

モテる?

モテて、どんないいことがあるのだろう。ことに年寄りになってから。

さきほどblog友さんの記事で、

タイで24歳もサバを読んだ女性を主人公にした映画のことが書かれてあった。

その文中に「62歳の聖子ちゃん」という言葉があった。

そうか、松田聖子さんは若見栄するのか。

それにしても、24歳もサバを読むとは、恐ろしい。

毎日しんどくてたまらなかったのではなかろうか。

私は27歳も年下の男性に愛されたいなどとは思わない。

だって、そんな年下の人と一緒にいたら、余計自分の年齢を意識させられるではないか。

人は年齢通りに見えたらよいし、年齢通りに生きればいい。

年齢通りにしていても、

フランスのマクロン大統領の奥さんのように、25歳も年下の男性に好かれることもある。

もっともマクロン大統領の奥さんも、

大阪サミットでは、かなり無理な若見栄をしていたようにお見受けしたが・・・。

それは、彼女が、若い夫に連れ合うように努力した結果か。

そう思ってみると、それも痛々しい。

だから、人は年齢相応でいいのだ。

マクロン大統領の奥さんも、

最初の夫と共にいれば、そのような無理をすることもなかったのにと同情してしまう。

タイの聖子ちゃん御婆ちゃんは、もっと痛々しい。

家まで貢いだ男性には若い彼女もできていたと聞くにつけ、

女の哀れもここに極まるとさえ思わされる。

年齢相応に生きていたら、

こんな悲しい目に遭うこともなかったのに・・・。

*

★老化することは老女の勲章であればするまじ若作りなど

★若く見せ何のお得があるのかと老いに向かへるわれは思ふも

★無理をして余計無残な姿見す老いは隠し遂(おお)せるものにはあらず


母は最期の最後まで自分のことは自分でしなければならなかった

2019-07-06 09:53:55 | ブログ記事

頼りの長男に先立たれ、娘の私は遠方で暮らしていたから、

私の母は、最期の最後まで自分のことは自分でしなければならなかった。

病院通いも杖をついて一人で行ったし、

いろいろな事務的な仕事も最後まで自分でした。

母も心臓が悪かったから、

最後のほうは歩くのもごくゆっくりであった。

それでも杖をついて、どこへでも出かけた。

死ぬる前は入院中であったが、

孫(私の甥)が帰省するからと外泊許可をもらって、

死の前々日は美容院でパーマまでかけていた。

死ぬ前日は、

私が車いすに乗せて、

曾孫(私の甥の娘)のピアノ演奏を聞きに高知市内の楽器店に行った。

その翌朝亡くなっていた。

亡くなる前も、

夕方私が寝込んでいたら「夕飯を食べに行こう」と私を起こして、

私の押す車いすで宿泊していたホテルのレストランまで行き、

「おいしい、おいしい」と夕食を残さず平らげた。

そして翌朝死んでいた。

最後の最後まで自分のことは自分でした人だった。

お葬式用の写真まで準備して・・・。

兄嫁が何もしてくれなかったから、そうせざるを得なかったとも言えるが、

最後まで自分のことが自分でできたことは幸せであったかもしれない。

人一倍わがままではあったけれども、

そのわがままが母をそうさせたのかもしれないと思うとき、

わがままも捨てたものではないと思う。

*

★最期まで母は母流わがままで生きて死にしは幸せなりき

★二週間前も入院中ぬけて帰宅せし母緊急室ゆ

★帰宅すは危険と医師も看護師も止めしが聞かず帰宅しにけり

★最期までおのが思ひを通しつつ突然死にし人がわが母

★難聴の娘を難じつつ死にし人なりわれの母なる人は


沈黙は金であるけれども

2019-07-06 04:30:42 | ブログ記事

聴覚障碍者で聞こえない私が沈黙したらどうなる?

そう、名実ともに「つんぼ桟敷」におかれる。

聞こえない分、こちらから発信していかないと「つんぼ桟敷」におかれたままになる。

聞こえる人は黙っていれば「沈黙は金」であろうけれども・・・。

とはいえ、リアルな世界では私も沈黙している場面が多い。

というより、聞こえないから沈黙せざるをえないのだ。

それで私をおとなしい人と思っている人は多いと思う。

が、そうではないから、こうしてblogではうるさいくらい書く。

書いて自分で自分を確かめているところがある。

話は変わるが、

人は黙っていると賢そうに見えるものだ。

また実際、賢い人は黙っていることが多い。

blog友の記事に、

トランプ大統領の娘は馬鹿だからでしゃばるが、

奥さんは控えめだから賢いというふうなことが書かれてあったが、

私には奥さんのメラニアさんが実際に賢いかどうかはわからない。

が、喋らないから賢そうに見えることは確かだ。

が、本当に賢い人は、

ふだんは黙っていても、大事な場所ではきちんと発言できる人だと思う。

逆にいえば、大事な場面でしゃべるために、ふだんは黙っていると言えるかもしれない。

私は、

沈黙は金、沈黙を破って喋ることはダイヤモンド

だと思う。

 

*

★沈黙を保つは賢きことなれど沈黙ばかりでゐるはいかがか

★沈黙を保ちてのちに口ひらくときの発言花となるべし