かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

昨年の今日は上高地に来ている

2019-07-25 18:32:38 | ブログ記事
 
午前5時10分上高地バスターミナルに到着
少し肌寒いのでカーディガンを羽織りました。外界の猛暑が嘘のようです。ここで持参したサンドイッチで朝食をとってから梓川へ。このあまりにも美しすぎる景色を見てい......
 

もう一年経ったんだ。

去年は母を亡くして、あちこち行き回った。

母が生きている間は、いつ帰省しないといけないかわからなかったから、

遠出を避けていたけれど、

その心配がなくなったのが大きかった。

それと、やはり母がいなくなった寂しさを紛らわせる目的もあったかもしれない。

生きているのといないのとでは大きく違う。

もう私のことをあれほど心配してくれる人は此の世にいない。

生きているときは、

あまりにも期待されるのがうっとうしいときもあったが、

それだけ私を愛してくれていたからこそだった。

私は、母の期待には、ほとんど添えなかったが、

母より長生きをしていることだけは親孝行だ。

兄のように親に先立つのが一番の親不孝だと思う。

ああ、それにしても上高地は気持ちよかったなあ。

こうして歩ける間にあちこち行っておいて、

寝た切りになったときに思い出すようにしようと思う。

*

★親孝行なにもできずに逝かしめて思ひだしをり折あるごとに

★思ひ出すことも供養と聞きしかばせめて思ひだして供養を

★思ひ出をblogに残し寝た切りになればアルバム開くやうにblogを

★子供らもかみなりblogでわたくしを思ひ出だしてほしいと思ふ


せっかく大阪には大阪の文化があるのだから

2019-07-25 13:15:11 | ブログ記事

今朝書いた記事「吉本のお笑いは要らない」への追記です。

大阪には大阪独自の文化があるのに、

吉本のお笑いのせいで、ずいぶん他県の人たちに誤解されていると思っています。

以前、東京で、

「大阪の人って、みんなあんな喋り方するかと思ってた」

と言われたことがありました。

「え、あんな、どつき漫才みたいに?」

まさか、あの人達は特殊ですよ。

ほとんどの人は、普通ですよ。

私は大阪市に30年以上住みましたが、

いまだに、あんな話し方はできません。

あんなふうに誤解を受けるのは、

私は、吉本のせいだと思うんですね。

そういう意味では被害を受けているような心境です。

が、たとえば、私の娘などは吉本の新喜劇が好きで、

大学時代、デートに誘われた時、

「どこに行きたい?」と聞かれて、吉本新喜劇に行ったくらいです。

観てきた娘が言うのには、

「テレビで見ていたら出まかせでやっているみたいに見えるけど、

実際の劇を見ると、すごく練習してはると思った」と。

そういう娘の感想を聞けば、また吉本に対する印象は変わりますが、

しかし、

私には、今でも、吉本のお笑いは面白く思えません。

私の夫は、生まれこそ高知ですが、

ずっと関西で育っています。

が、

夫は、吉本の漫才で相方を叩くのが嫌だと言います。

が、お笑いが嫌いなのではなく、

日曜日の「笑点」などは録画して観るくらい好きです。

私も、朝の「吉本のお笑いは要らない」の記事へのコメント返しに書いたように、

笑いが要らないと言っているわけではありません。

私にとっての「笑い」とは、

ああいうふうに「受け」を狙って笑わせるものではなくて、

自然に笑みがこぼれるようなものです。

お金を払って笑わせてもらうのではなく、

期せずして笑わせてもらったというような笑いを好みます。

そういう私の嗜好からすれば、

吉本のお笑いは好きになれないということです。

昔なにかで読んで本に、

「どんなことで笑うかで、その人物が推察できる」ということが書かれてありました。

これは、いまでも至言だと思っています。

で、今回、私が何を言いたかったかというと、

大阪には、吉本のお笑い以外にも、上方独自の文化があるのだから、

そちらにも目を向けてほしいということです。

人形浄瑠璃の文楽もあるし、千利休の茶道もあります。

こういう伝統的な文化がかき消されてしまうほど、

お笑いの吉本が目立つことには抵抗があるのです。

大阪人が皆、吉本のお笑いのような人達とは思ってほしくありません。


吉本のお笑いは要らない

2019-07-25 06:50:34 | ブログ記事

昔も今も吉本のお笑いを面白いと思ったことはない。

むしろあのナンセンスなお笑いは日本人の知性を貶めているように感じていた。

相方をむやみやたら叩いたりする芸は、

子供たちの苛めの温床になっているのではないかとさえ感じていた。

また相手の身体的な欠陥を笑いにすることも決して褒められた行為ではない。

本物の笑いというものは、ああいうふうに受けを狙うものではない。

私は、何でも欧米の文化を称賛するものではないが、

洋画で繰り広げられる会話の中のユーモアとかエスプリの笑いが好きだ。

映画でなくても、

イギリスのチャールズ皇太子などが何気なく発するユーモアの言葉などには感心する。

日本人の中にも最近はああいうユーモアを発することのできる人も散見されるが、

もともとユーモアは教養がないと醸し出せない技だと思う。

エスプリもそうだが、エスプリは皮肉なので、場合によっては他人を傷つける。

が、ユーモアは自分を笑いの種にするのだから誰も傷つけない。

本当の笑いというものは、

真面目な会話の中に挟まれるユーモアとかエスプリから生まれると私は思う。

それらから言えば、吉本のお笑いは下品なだけでなく、

後味の悪い笑いでもある。

まして、

それら芸人と呼ばれる人たちが黒い世界の人たちとつながっていることを知れば、

笑うどころが顔が引きつってしまう。

私は、吉本のお笑いが消えてしまっても全然かまわない。

むしろ、

吉本のお笑いが消えることによって、日本の下品なお笑いが消えることを期待する。

*

★吉本の笑ひに笑ふことあらず不快に思ひしこと数知れず

*

それより、現在、

日本の竹島上空をロシア軍機、中国軍機が飛来していることを

私達は、もっと話題にすべきだと思う。

吉本の下卑た笑いを話題にしているうちに日本領空が侵されていると思えば、

それこそ笑いごとではない。

真の笑いは、真剣さの裏側から湧くものだと心得たい。

逆に言えば、真剣さを持ちえない人たちからは真の笑いも生まれないということだ。


夏は天ぷら

2019-07-25 02:40:41 | ブログ記事
夏は天ぷらをすることが多い。

煮物などは傷みやすいから、野菜類は天ぷらにしていただく。

だから、冷凍庫には大海老を常備してある。

夏は、同時にそうめんとか麺類の食事にすることが多い。

素麺の献立にしたとき、天ぷらはとても相性がいい。

素麺だけだと物足りないが、
エビやイカの天ぷらに加えて夏野菜を天ぷらにすると見た目も豪華になるし、
栄養的にも万全になる。

それと、素麺のつけ汁が天ぷらの天つゆにもなって一挙両得である。

もちろん天つゆは熱いのがベターだが、
しかし、夏の間は冷たい素麺のつけ汁でも全然問題ない。

この献立は夫も好きで、
夏の間の献立のローテーションに組み込まれている。

夏の間はこの献立に、
餃子、カレーライス、焼き飯、オムライスなどもローテーションに加わる。

餃子はご飯が少ないときに重宝する。

夏は食欲がないから、上記のような味を付けたご飯ものが食べやすい。

本来、私はお刺身や焼き魚に煮物を添えた和風の献立が好みだが、
夏の間は煮ものなどは傷みやすいから、あまり作らない。

味噌汁は夫の好物だから、夏の間も結構頻繁に作る。

それから家で漬けているキュウリやナスの糠漬けも添える。