blog友さんの記事に
アメリカでは、大統領招待の晩餐会でも平気で断るというようなことが書かれてあった。
そこが日本との違いだというふうなことも。
私なども、人から誘われたら嫌と言えない人間だった。
が、最近は、そうでもない。
それは年取ってきたこともあるが、
それよりも、
自分を大事にするようになったせいだと思う。
昔は、何でも相手の意向に合わせていた。
家では親の言うことをよく聞くよいこ。
学校では先生の言いつけをよく守るよい生徒。
嫁いでからは義母の顔色をうかがう嫁であった。
が、それが必ずしもいいことではないということに気づいたのは、
私も更年期を過ぎた50歳くらいだったろうか。
私の実家の義姉などは、最初からイエス、ノーのはっきり言える人であった。
結婚して最初に、
たまたま母がジャワ島を旅行したあと、
ジャワ更紗のムームーを何着か買ってきて、
義姉に
「どれでも一番気に入ったのを選びなさい」というと、
義姉は、それらを一瞥して、
「どれも要りません」と答えた。
ふつう結婚したての若嫁であるなら、
気に入ったものがなくても、
姑の顔を立てて、
「これをいただきます」とか言って、適当なものをもらうと思う。
少なくとも、高知県などであれば、お嫁さんはたいがいそうする。
が、義姉は東京育ちの合理的な人なので、
要らないものは要らないと最初からはっきり言う。
一事が万事で、すべてがその流儀であった。
だから、その後、
私の祖父(母の父)が亡くなったときも、
義姉は
「現在風邪を引いているからお葬式には出ません」と言って来ようとしなかった。
さすがに母の「親戚の手前、そういうことは通らない」の一言で、しぶしぶ来たが、
その後も、嫌なこと、都合の悪いことは、相手の意向など忖度しないで、はっきり断る。
当時の私には信じられないやり方だったが、
しかし、嫌なことを無理にしないことは精神衛生上はいいことなのだろう。
私も嫁いできた当初から、兄嫁流を通すことができていれば、
いろいろ苦しむこともなかったのにと今になれば思う。
が、当時の姑は非常に居丈高だったから、たぶんそれを許さなかったとは思う。
それでも断固としてそれを通せば、
さしもの姑も折れたかもしれない。
当時の私には、その強さに欠けていた。
今朝、blog友さんの記事を読ませてもらいながら、
自分の身辺のことに思いを巡らせて書いてみた。
*
★嫌なこと嫌とぞはつきり言ふ人を羨(とも)しみながら眺めし日々よ
★なにゆゑにあれほど義母に気を使ふ嫁でありしか若嫁のころ
★結婚をするまで親の言ひつけを異常に守る娘でありき
★学校でよいこよいこと褒められて悪い子供になり損ねし子
★もう少し羽目を外せばよかつたと気づくは古希を過ぎし今頃