明日に投票を控えた参院選挙ですが、
さきほどの記事でご紹介した
筆談ホステスこと、聴覚障碍者である斎藤りえさんは
「障碍を持った一定数の国民の声を国会に届ける代表は絶対に必要」
と言われています。
すなわち
「多様性を認め合う社会」ですね。
私は自分が聴覚障碍者であることだけでなく、
孫娘が脳性麻痺で寝たきりなので、
このことの重要性は痛感します。
脳性麻痺で生まれたから社会に無用ではなく、
脳性麻痺で生まれて歩くことは愚か、立つことも座ることもできない人も
生きていていいのです。
この孫は、私達にとっては掛け替えのないたった一人の女孫です。
どんなにこの子のことを私達が愛しているか、
どんなにこの子のことを私の長男夫婦が大事にしているか、
関係ない人たちには理解してもらえないと思いますが、
事実です。
私自身、難聴の判明したときに両親をがっかりさせましたし、
祖父母にも心配をかけました。
が、だからこそ、両親、特に母は、私のために一生懸命働きました。
祖父母は私が結婚をしたあとも、
私のことが気になって、
毎月、高知の産物を荷物にして送ってきてくれました。
此の世に生まれてきた人で、此の世に要らないという人はいません。
それぞれの使命を帯びて生まれてきているのです。
私のたった一人の女孫が私達にとって天使であるのと同様に、
私のことは、
私の祖父母にとっては、
目の中に入れても痛くないほどの可愛いたった一人の女孫でした。
私の母方の従弟たちは全部男で、男の子たちは皆健康で優秀だったのに、
たった一人の女孫の私だけ難聴という障碍者でした。
が、祖父母は、
私が中学生になったころから毎年高価な着物を作りためてくれて、
二十歳になったときは振袖も作ってくれました。
人が私のことを褒めてくれたら、
誰よりも喜んでくれたのが祖父母でした。
嫁いできてからは、この難聴のため、ずいぶんいじめられましたが、
実家の両親や祖父母は、
私に障碍があるからこそ、よけい大事にしてくれたと思います。
こういう家族を思う気持ちを他の人々にも及ばせていけば、
日本は今よりもっと良い国になると思います。
私は、自分に障碍があるから言うのではなく、
この国のこれからを思って言っています。