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皆様、こんばんは。
事務局です。
10日の一宮市内は、引き続き、きびしい暑さが続いています。
ただし、風が「伊吹おろし」と同じ吹き方をしています。
お盆休みの会社やお店が増えてきました。
お盆といいますと、寺西は数年前、テレビ局様主催の鉄道イベントに、6日間、出展したことを思い出します。
富山市在住の皆様は、お盆に入りますと、午後、いっせいにお墓参りに行かれるようで、イベント会場から、来場者が引いていくのを見て、驚きました。
お盆最終日の夜は、川の堤防や橋の上で、家族の皆様が、火の付いた、手持ち花火をぐるぐると回して、あの世に帰って行く、ご先祖様を見送る光景を、よく見ました。
本日の寺西は、作業がないため、組み立てレイアウトの製作をおこないました。
明日朝、微調整をしたのち、線路敷設になります。
ここからは、通称「青バス」の乗車会に参加したお話の続きです。
「青バス291号」は、若い人たちの間で、アニメ「あみたん娘」で話題の、高岡大仏様付近を巡回しています。
下の写真は、青バスがいない時の、高岡大仏様と、手前は信号交差点です。
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あみたん娘のキャラクター様は、確か、一宮市のイベントに、いらっしゃった記憶があります。
高岡大仏様を後にして、高岡市の古い町並みが残る地区に移動します。
高岡市には古い町並みが2個所あります。
(1)山町筋(やまちょうすじ)
(2)金屋町(かなやまち)
高岡は富山県の主要都市ですが、町を開いたのは、加賀藩主・前田利長になります。
今でも主要都市として「栄えている」と、寺西は思っているのですが、学者様のレポートなどを読んでいますと、江戸時代から昭和時代初期まで栄えた、ということになっています。
「新幹線の駅があるよ」と寺西は言いたいのですが。
お亡くなりなった、放送作家・永六輔様が、「現場を見に行け!」とおっしゃるように感じます。
2個所の古い町並みは、お互いに特徴がございます。
(1)山町筋(やまちょうすじ)は、土蔵造りの重厚な商家が並んでいます。
かってこの地に、北陸道が通っており、江戸時代は、米や綿の集散地として賑わったそうです。
下の写真は、仏壇店様前で停車中の青バスです。
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山町筋に土蔵造りの商家が建てられるようになったのは、1900(明治33)年に発生した、「高岡大火」以降と言われています。
大火によって、高岡の町は約6割が焼失してしまったそうです。
「あみたん娘」で話題の、高岡大仏様も、当時は木像でしたので、同時に焼失しています。
大火以降の復興にあたっては、防火対策に重点がおかれて、当時、高い耐火性を誇っていた、「土蔵造り」が採用されることになったそうです。
高岡の町は、江戸時代から、鉄器や銅器の鋳造が盛んな、「鋳物の町」です。
当時、富を蓄えていた高岡の商人の皆様は、土蔵造りにプラスして、外部に、鋳物鉄柱を使用したり、内部は、照明カバーや釘隠しなどを、鋳造された薄い鉄製品を使うことで、豪華な雰囲気を表現したそうです。
下の写真は、富山銀行本店様前に停車中の青バスです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/88/379c546d940cca58f6039ec841fb1966.jpg)
耐火建築は、土蔵造りだけではなく、1914(大正4)年に建てられました、煉瓦造りの富山銀行本店様のような、洋風建築の建物も含まれています。
次回に続きます。
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