こんばんは。
事務局です。
21日の一宮市内は、引き続き、きびしい暑さが続いています。
今朝の空は雲1つなく青色一色でした。
本日の寺西は、縫製作業と来客対応でした。
里帰り車両がございましたので、ご紹介いたします。
カトー(関水金属)製の旧国鉄115系近郊形電車です。
荷物電車とセットです。
試運転時、使用させていただきます。
ありがとうございます。
経年変化で、車両ケースの白色部分が、黄色に変色していましたので、時代を感じました。
ここからは、通称「青バス」の乗車会に参加したお話の続きです。
「青バス291号」は、国道415号線の、雨晴(あまはらし)海岸が見える旧道と雨晴駅前を、数回、往復しました。
そして、JR氷見(ひみ)線の列車と並走して、参加者の皆様を楽しませました。
雨晴駅前にて、停車中の青バスを撮影する、数分の撮影会がおこなわれました。
参加者様が持参された、「冷房バス」の看板が掲出されました。
ペンギンマークが懐かしいですね。
雨晴駅前での撮影会が終わった後、雨晴海岸駐車場に停車します。
撮影されていた参加者の皆様が乗車して、青バスは、「新湊(しんみなと)きっときと市場」様に向かいます。
素直に、きっときと市場様に向かう青バスではありません。
先ずは、JR伏木(ふしき)駅南側にあります、車庫付近にて、フェイスブックでお馴染みになっていました、
「紀州鉄道キハ605修復プロジェクト」
で修復されました、キハ605号ディーゼル動車を青バス車内から見ました。
※紀州鉄道様は、和歌山県御坊(ごぼう)市にあります、JR御坊駅から西御坊駅間、路線延長2.7kmの小さな鉄道会社。本業は不動産業です。
紀州鉄道キハ605号は、1951(昭和26)年3月、常磐炭鉱(じょうばんたんこう※)キハ21号ディーゼル動車として製造されました。
※常磐ハワイアンセンター様(現在は、スパリゾートハワイアンズと、名称変更されています)の施設があります周辺になります。
のちに、岡山臨海鉄道に譲渡され、同鉄道廃止後、紀州鉄道に再度、譲渡されました。
車両の調子が悪かったそうで、一度も営業運転に出ることなく、車庫に留置されているのを見ていました。
「そのうち乗れるのだろう」と思っていましたが、その期待もむなしく、2000(平成12)年に廃車になりました。
キハ605号ディーゼル動車の修復は終わっているようで、車体外装の、窓下は緑色、窓から上はクリーム色のツートンカラーが輝いていました。
動態保存、と聞いていますので、エンジンを始動しますと、自走するのでしょうね。
貨車に挟まれていましたので、新しい譲渡先は見つかったのでしょうか?
以下2行は、2016年09月18日に追加。
http://www.jrf-hokuriku.co.jp/bis/bis_main302.html
※販売中でした。
キハ605号を見学した後、伏木港大橋を渡り、車両解体工場として知られている、「日本総合リサイクル(株)」様の敷地内を、青バス車内から見学します。
「ゆりかもめ」、東京メトロ様・銀座線電車、名古屋市交通局様・東山線電車、富山地方鉄道様などの廃車両が、並べられて、解体の順番を待っている状態でした。
伏木と言いますと、2009(平成21)年8月、伏木万葉大橋の完成により、消えてしまった渡船「如意(にょい)の渡し」をご存知の皆様はいらっしゃいますか?
下の写真はJR伏木駅舎です。
JR伏木駅を下車して5分ほどだったでしょうか、小矢部川(おやべがわ)の堤防に、歩いて向かいますと、渡船乗り場がありました。
立派な平屋の乗船施設が設けられていました。
近くに、義経・弁慶の像が立っていた記憶があります。
「義経記」によりますと、源義経、武蔵坊弁慶も乗った、渡し(※)だそうです。
※当時は、六渡寺(ろくどじ)渡し、籠の渡し、と呼ばれていた、と伝えられています。
定員18名(だったと記憶※)と書かれた、船底が青色に塗られた、エンジン付きの船に乗り、約2分ほどで対岸に到着。
※違っていたらご指摘くださいね。
渡船乗り場から少し歩きますと、万葉線・中伏木駅(停留所)に行くことができました。
次回に続きます。
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