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皆様、こんばんは。
事務局です。
11日の一宮市内は、きびしい暑さが続いています。
赤トンボの飛んでいる数が増えてきました。
本日の寺西は、組み立てレイアウトのボート製作をおこないました。
完成した後、線路を仮敷設して、ケガキ線を引きました。
帰郷された方より、ご寄付がございました。
樹脂製クランプを2個、ご寄付していただきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/34/5213941a714095ea7d610f46d08ac0f6.jpg)
組み立てレイアウトのベース製作時に使用させていただきます。
ありがとうございます。
今日は11日ですので、音楽イベント「音の輪会」様の開催日でした。
すっかり忘れておりました。
関係する皆様、ご迷惑をおかけしました。
ここからは、通称「青バス」の乗車会に参加したお話の続きです。
「青バス291号」は、古い町並みが続く、(1)山町筋(やまちょうすじ)の通りを走っています。
下の写真は、土蔵造りの町資料館前に停車中の青バスです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/f2/e49018de3547b95a48fbff8fd2d7af2d.jpg)
もう1つの古い町並みは、(2)金屋町(かなやまち)です。
山町筋は、路線バスが通っても遜色のない、幅員の広い通りがあります。
金屋町は、自動車1台が通るのがやっと、という幅員の狭い通りが多く、江戸時代から町並みが変わっていない、と言われる町です。
(1)山町筋から見て西側、千保川を超えたあたりに、(2)金屋町はあります。
前回、高岡大火のお話を書きましたが、こちらの金屋町は、大火に見舞われることはなかったそうです。
金屋町は、「鋳物師の町」とも言われ、江戸時代から現在も、鋳造業、いわゆる鋳物の生産が続けられています。
火を使う鋳造業が盛んな金屋町は、不思議なことに、江戸時代から現在まで、大火に遭いませんでした。
城下町を作る際、火を使う鋳造業は、城下町の外、千保川西側に集められたそうです。
集めた理由は、金屋町から出た火が、城下に移らないように用心したためです。
金屋町には、青バスは入れませんので、代わりに青バスの、車体細部写真を掲載しておきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/10/50f629ab1907a538bf85f766494d3442.jpg)
下の写真は、金屋町のメインストリートです。写真が1枚だけありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/6f/ec7ca7c3abffcfd3ce6731c7acaf8325.jpg)
ところが、大火は山町筋で発生して、その火が金屋町に移ることはありませんでした。
結果、金屋町には、山町筋の商家より古い、江戸時代の町家が現存することになりました。
町家は、北陸地方でよく見られます、1階は千本格子があり、2階部分両端に袖壁が設けられるタイプです。
町家だけを見ていますと、「北陸地方特有の町家」で終わってしまいます。
もし高岡市にお邪魔して、時間に余裕がございましたら、一般公開されている、金屋町の町家に訪れてみてください。
町家と鋳造の仕事をする作業場とは、中庭を隔てて別になっていることが分かります。
ちなみに町家のことを「主家(しゅか)」と呼ぶそうです。
主家と作業所が離れていますから、もし作業場が火事になっても、主家に燃え移らないように、防火の工夫がなされていることも、分かると思います。
金屋町は以前より、町並みが整備されて、道路の舗装も、石畳に銅片が埋め込まれるなど、観光地らしくなっています。
青バスは、 次の撮影会がおこなわれる、「雨晴(あめはらし)海岸」に向かいます。
青バスは、国道156号線に入って、万葉線の路面電車と並走します。
運用変更があったのでしょうか、非冷房車が運用に入っていました。
窓を全開にして走る路面電車を久しぶりに見ました。
下の写真は、旭ヶ丘電停の近くにあります、コンビニエンスストアで停車中の青バスです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/cf/180270938f4dd975e9dfd8a7d2ea9ad7.jpg)
途中、コンビニエンスストアーのローソン様に入り、トイレ休憩となりました。
青色つながりです。
次回に続きます。
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