青色鉄道模型運転会

一宮市青色申告会ホールで開催されている、鉄道模型運転会公式ブログです。Xアカウントは@railaoiro138a

青バスに乗る(14)

2016-08-15 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

15日の一宮市内は、曇りの天気になり、きびしい暑さから、一時、解放されたような感じです。

昼過ぎからは雨が降ってきました。

本日の寺西は、見積もり作成と、作成した組み立てレイアウトボードの調整でした。

ここからは、通称「青バス」の乗車会に参加したお話の続きです。

「青バス291号」は、雨晴海岸で、JR氷見(ひみ)線の列車を待つため、国道415号線の旧道に停車中です。

昨日は、氷見市のお話も少し書きました。

海つながりで、松田江浜海水浴場から氷見市街地に、歩いて向かってみましょう。

氷見市には、旅行で何度も訪れています。

氷見駅は、貨物線跡が整理されていき、駅敷地が小さくなっていくのが悲しく感じます。

上の写真は、JR氷見駅構内床に描かれた、寒ブリのイラストです。

下の写真は、JR氷見駅舎の一部です。



駅舎内には「氷見市観光協会」様がございます。

専用ツイッターアカウントをお持ちですので、フォーロいたしますと、便利かと思います。

同駅から、県道302号線に出て、北方向に向かいます。

氷見漁港前信号交差点を越えますと、次は、魚々座(ととざ)前信号交差点になります。

その交差点を右方向に回りますと、富山湾マリン様が運営されます、「氷見沖クルージング遊覧船」の乗船場がございます。

下の写真はマリン様の遊覧船です。



マリン様も専用ツイッターアカウントがありまして、フォーロしておきますと便利です。

中の人のお仕事が忙しく、たまにツイートを、忘れてしまうことがございます。

その時は、「今日は運航していますか?」とツイートしてみてください。

きちんと返信がございますので。

乗船には料金が必要となります。

30分間隔で運航されており、乗船されますと、遠くに、松田江の長浜を見ることができます。

カモメが遊覧船に近づいてきます。

船内では、カモメの餌として、かっぱえびせんが販売されています。

下の写真は、遊覧船から氷見港方向を見ています。

小さな島は唐島(からしま)です。



遊覧船は、氷見漁港周辺や唐島・阿尾城跡(あおじょうあと)、定置網周辺を巡ります。

ところで、唐島、阿尾城跡って何ですか?

簡単に説明をしていきますね。

(1)唐島(からしま)―――――――――

氷見漁港から300mほど沖合にあります、樹木が生い茂る無人島です。

氷見港の「守り神」として、昔から地元の信仰を集めています。

島の所有者は、氷見市丸の内地内にございます、曹洞宗・光禅寺(こうぜんじ)様です。

島内には、弁天堂・観音堂・火ともし地蔵・夫婦岩がございます。

ここにも武蔵坊弁慶が登場し、「弁慶の足跡」があるそうです。

この島の由来は、お話が大きく、光禅寺様を創建されました、明峰素鉄(めいほうそてつ※)という僧が、唐の大火を消し鎮めたそうで、そのお礼として、唐から島が送られたそうです。

※鎌倉時代から南北朝時代に生きました。

(2)阿尾城跡(あおじょうあと)――――

万葉の歌人・大伴家持の歌にも詠まれている、景勝地(※)の1つです。

※当時は城などはありません。

富山湾に面する、標高20〜40m前後の、独立した丘陵上にある城跡です。

東側と南側は断崖絶壁で海に囲まれおり、西側は陸地とつながっているものの、急斜面になっています。

城は平山城と伝えられていますが、城郭研究者の皆様の中には、海城、崖端城、とご説明される方も。

城は16世紀、戦国時代に、越中と能登の交通の要であるこの地に、菊池武勝の居城として築城された(※)、と伝えられています。

※城郭研究者様のご説明では、発掘された出土遺物から考えて、15世紀後半には、すでに城として利用されていたそうです。

のちに、菊地武勝が城を明け渡し、城代に前田慶次郎が入ります。

城の西側には城下町が存在したそうです。

1597(慶長2)年頃には廃城となり、その後、神社が創建されたり、耕作がおこなわれたことから、残っている遺構は、曲輪(くるわ。本丸・二の丸・三の丸のみ残る)・土塁・空堀のみとなっています。

下の写真は、駅入場券を購入する参加者のために、JR雨晴駅前で停車中の青バスです。



次回に続きます。

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