無味乾燥な

つまらぬ話でございます

飲んだり歩いたり

2018-07-29 21:45:21 | 日記
歩いて定禅寺通に行くと、何処のじいさんが今年は蝉がなかないとか言っていたので、蝉達が、これでもかというぐらいに大合唱をしていた。
これまでは、七月の終い頃までは、梅雨の時期で、冷んやりしている時もあって、夏は八月からだったから、その仕様になっていたのかもしれない。

itoというおっさん、否、おかしなじいさんは、小生に「最近、キミは、徘徊に近い行動ばかりしている」などと言いやがる。
今日は、当方でも時々風が強く、自転車乗りを諦めたので、小生はいつものように、青葉城まで歩いて、その帰路でLINEが来たので、「トレーニングの為に歩いて、復路で国分町にいる」と返した時である。
小生のトレーニングを老人の徘徊と表現しやがる。
見た時には、独りで、思わず声を上げて笑ってしまった。
今度は「ちゃんと家に帰ることが出来るのか?」と来た。

国分町からならば、酔っ払っていても、自動的に帰れるんだ、と返した。
馬鹿馬鹿しいが、このやり取りは、実におもしろかった。湿度が高くて、かなり汗をかいてしまったので、頭がイカれていたかもしれない。この程度の温度でそうなったのでは、もっと南の方々に笑われる、と思った。

青葉城といえば、伊達政宗であるが、歩きながら、キリスト教の組織力が、信長を潰して、秀吉が大陸派兵を約束したので天下統一ができたと言う話に合点のいく気がした。政宗も考えたことである。当時は、かなり浸透していたのだろう。だから徳川幕府は鎖国を採用したのだろう。「潜伏」が採用され、「隠れ」が使われなかった理由といい、未だになかなか興味深い。登録されなかった信仰の「凄み」、「覚悟」というものも引き出された。最近の気象からは、随分先のことのように思われるが、今度のクリスマスは、形だけでしてはならないように感じられる。

金曜日の夜は、以前一緒に働いた、いわゆる後輩に当たる方々と、気仙沼で一杯やった。聞いた話では、ここには「飲み放題」をやっている店はないのだそうである。3軒ほどハシゴしたが、小生の文化とは、何かちょっと違うところがあると感じられた。通常は、『異文化』を楽しもうと思うのだが、その気にはならず。
道路は、迂回路が多く、数多くのダンプが行き来している。土砂の山が散見される。石巻のほうはかなり落ち着いてきたが、気仙沼辺りはまだまだのようである。
土曜日は、後遺症で、家でゴロゴロしていた。
今後、南三陸町までは行くかもしれないが、もう小生が気仙沼に行くことはないと思う。

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