斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

ヒップホップモンゴリア買っちゃった

2021年10月01日 | 日記
 
自分にはモンゴルのヒップホップにハマる要素が元々あるのではないか?
と思える。
ポチった知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国-それは理想化されたモンゴル像にすぎない
ヒップホップと口承伝統・伝統宗教との接点etc…
 
ヒップホップの生まれた背景が詳細に書かれている。
この本をポチったキッカケが
私には、好きなモンゴル人パンクグループの、蒙古斑(仮)というのがいる🐎🐫
《蒙古斑(仮)》にはアンチが多いので実名を伏せる。》
蒙古斑(仮)が生きる世界の環境的な背景と、その歌詞を照らし合わせた解釈を愉しみたい。
蒙古斑(仮)と出くわしたのが2015年夏。
「下層民の英雄」という曲が東京FMで偶然流れて、ビビッと来た速攻ポチった。
全て英語歌詞のロック曲でアメリカ人はこんな曲作らんだろ!みたいな美しい曲です。蒙古斑(仮)についてググッたら彼らの出自が何故かモンゴル🇲🇳エルデネト。えっ?!ガイジンさんが作った曲じゃないんだ。なんかガックリ。
そりゃアメリカ人はこんな曲よう作らん
当時の自分はモンゴルが嫌いだった。お相撲さんと一重瞼と蒙古斑(赤ちゃんがお尻が青い方)の国。凄く東洋的で演歌みたいな曲ばっかのダサいイメージだった。
曲はいいけど顔は見んとこ。。。
歌い手が白鵬そっくりだったら落胆するのは目にみえていた。国をディスる理由としては至らなかったが、モンゴルを心の中に封印していた。というか忌避していた。出来るだけこの真実から目を背けたかった。
蒙古斑(仮)に深入りせず時が過ぎた。
 
そしてコロナ禍へ…
仕事に向き合う正しい姿勢を教えて頂いた職場をコロナ禍を理由に辞めざるを得なくなり、去るはめになる。コロナ落ち着いたら同じとこに再就職出来るかどうか毎日が心配で、復職に対する執着心に次ぐ執着心に苛まれていた。
辞めたのが2020年5月。それから数ヶ月にわたり苦手な断捨離をダラダラとする。自分はモノを捨てるのが嫌い。モノに執着する。
 
頼る情報がラジオかテレビしか無かった。これから先がどうなるのか誰も解らない不安な時期で、コロナ後の世界は江戸時代から明治時代ぐらいに変わると言われ、時代に合わせて変わらないとこの先生きていけないと誰もが言った。自分はそれでも執心を貫き変わってたまるかと抗っていたが、部屋が片付き落ち着いてきた頃に、ノマドという価値観が尊重され始める。ノマドとは遊牧民などの非定住者を指す。
 
その頃から遊牧民というものに徐々に興味を持ち、モンゴルというモノに興味が湧き、ノマドの価値観に自分の執着心をなんとかして欲しかった。価値観を変えたかった。すがるような想いだった。これからは本当に柔軟な生き方しかダメだと世界が確実なモノになってきた。
 
あれ?モンゴルといえば蒙古斑(仮)やん!
5年以上経過すればモンゴルを忌避して目を隠してた頃の想いはだいぶ薄れていた。
蒙古斑(仮)のノー・リーズンをポチる。これも全歌詞英語だ。蒙古斑(仮)英語は遜色ないようだが米語発音と比較すると強いクセがある。モンゴル人特有の訛りだ!聞けばきくほど中毒性のある訛りです。
 
ノーリーズンのサビの旋律は、ボロディンの「中央アジアの草原にて」のひとつのパート部分に似ている。ボロディンは中央アジアの持つ2つの要素を旋律にしたという。シルクロードとステップロード。蒙古斑(仮)のノーリーズンはステップロードを連想させられる方の旋律に似ていて、馬で駆けているようだ。
 
ノー・リーズンの内容はざっくり言えば、嘘をつくのは辞める。俺たちは変われるという。
私に当て嵌めると、自分の目からモンゴルというものを隠すのはやめて直視すること。価値観は変われる。
モンゴルが目に入ってても、これは違うと自分に嘘をつき封印していた。酷い嫌いようだ。その封印を解いたら本当に人生が変わったようだ。
 
蒙古斑(仮)の歌い手は本当に白鵬に似ている!白鵬がまだ若く痩せていた頃の顔になんとなく似ている。
 
森の中で縄張りを死守する生き方から開かれた草原へ、独立不羅の精神を持つ生き方への憧れを持つようになる。
 
遊牧民への憧れから、自分を少しずつノマドへと移行していく為に生活を中央アジアやモンゴル化しようと思った。その結果食事→中央アジアやモンゴル料理に挑戦してみようと思い、始めた。そして今に至る。
 
しばらくして、ラジオのネタで、初めて買った洋楽レコードの話があった。
私が初めて購入した洋楽は、ヒップホップのミュージシャン、スノーの初めてのアルバム。高校の時だった。その頃のスノーの曲はカッコよく、ヒップホップを聴いてるだけで自分イケてる気がしていた。そんな昔の事を思い出した。当時もの凄い中毒性があった。現在の蒙古斑(仮)以上に。
 
ヒップホップモンゴリアという本を知っているし、あれはモンゴルのヒップホップ。
蒙古斑(仮)とスノーとでは、モンゴルとヒップホップ。中毒性のあるモノ同士つきあわせるとモンゴルとヒップホップになった!
私にはモンゴルのヒップホップにハマる要素が元々あるのではないかと…
 
私は元来、匈奴や突厥に心酔する傾向があるのか?
自覚なしに匈奴・突厥に心が牛耳られていた。
 
時々ふとした時に中央アジアの風を感じる時があるが、それはまた後日
 
長々とご精読ありがとうございます
パカパカー
 
 
 
 
 
 
 
 
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戯言

2021年08月17日 | 日記

終戦から76年目を迎えました。戦争で犠牲になられた全ての方々に追悼を捧げます。

今年6月に上がったYouTube動画。戦争で亡くなった子供たちを慰霊しているスペースを通じて、戦争の悲惨さを繰り返さないことを祈ります。

 

 

ここはどこかというと、中央アジア 旧ソ連 カザフスタンの中にある未承認国家の首府アターヴァの国会議事堂付近です。

3枚目の写真。男女で来てる人、特に男性の...茫然とした表情が忘れられませんでした。

これの動画撮影者の来る前からこの場に立ち尽くしていました。

夥しいヌイグルミと靴が悲惨さを物語っています。気になるのは、いつの戦争の慰霊なのか?

という事。あるいは戦争の延長線上に起きた惨事によるのか、よくわからない怖さ...

 

この動画は(金曜夜のアターヴァ4K)という散歩動画(現地の人が撮影)

2021年6月に撮影されたもの。

動画の限りなく最後の方にここへ来た......

初めてこのシーンを見た時はどうしようもなく、怖かった...

明らかに、あれは慰霊。6月というのは、ロシアでは「霊が地上に降りて来る」といわれています。

動画撮影者はどんな想いだったのでしょうか。この日また動画のこの部分を開くとき、とても怖かったです。

あれを思い出す.....................................................................

あれとは無関係だが、似たような惨事が起きたのでしょうか。

頭が痛くなった。


この未承認国は、カザフスタンというムスリム国にあるキリスト教の自治共和国なのではないか?と思います。

パトリック通りとキリスト教系の名のつく通りや、大きなキリスト教会があります。東方正教会の寺院ではなく、西方の教会です。

憶測ですが、カザフスタンに強制移住させられてきたウクライナ人やドイツ人の共和国、多分ウクライナ系の共和国だと思いますが、カザフスタンという国は情報が少なく、アターヴァと検索してもロシア黒海艦隊フリゲート艦アターヴァしか出てきません。

首府アターヴァは日本のネット上で探すのは非常に困難を極める。ヌイグルミがあるとこの炎は、消してはいけない炎。


「あれ」と今年の6月というのは被る。以前も戯言という記事を書きました。いきものがかりの名を借り、ステップロードという名を借り、スキタイ人、韃靼人の名を借り、明言を極力避けました。

だからあの記事を読んだ方は、何が書いてあんのか全然意味が解らなかったと思います。

まるでスクラップブックみたいですよね。。。こんなやり方、私らしくないです。

もちろん「あれ」は私とは全く無関係な事柄なので、本来....普通に考えたらあそこまで気分的にやられるのはおかしい事だと認識しています。

「あれ」を知って暫くはずっと眠く、起きているのが非常に辛い時期でした。


「あれ」をやや名言する。名言出来ないのは私とは無関係だから。口出しする権利なしだから。惨事が起きた国も名言しない。

以前の戯言から引用

ステップロード=草原の道:北緯50度前後に主要都市などがある国

スキタイ人や韃靼人:ファーストネーションズではなく、侵略者。開拓者と美化される事もあり

野人:ファーストネーションズ

つい50年前に... :実際には50年も経っていない

スキタイ人や韃靼人は野人との抗争の果てに無抵抗な者への暴虐が起きていた:子供250人前後を殺戮し、学校の敷地内に埋めた。

スキタイ人や韃靼人は野人への同化政策の為に野人の両親から子供を引き離し、スキタイ・韃靼の国家当局と宗教指導者の運営する全寮制学校へ強制的に入れ、今から50年も経っていない昔に虐殺し、敷地内に埋めた。


スキタイ人や韃靼人に酷い汚名を着せてしまった。スキタイ人や韃靼人でもこんな酷い事はしてないだろう?と思いますが、数千年前のものであろうとされる、数十万の女性・子供の骨が出土したという歴史的事実を本で読んだ事がある。

その場所もユーラシア大陸の北緯50度線前後のステップロード(草原の道)といわれるところ。

だからそのニュースを知ったとき、東側が人権蹂躙、西側が正義という事はなく、ある意味人間だからしょうがないと感じました。何千年前でも、東洋人でも西洋人でも現代でも過去でも関係なく人間は同じ事をやる。

歴史物語を読み面白い、格好いいと思う事はあるが、リアルにこの手のニュースに直面させられた時の精神的なダメージは自分でも考えられない程壮絶なものでした。


その日は以前の戯言でもかいたように、臓物カレーを作る予定だったので、このメンタルで臓物を捌かなければならなかった。

このメンタルで臓物.... 今日にするのはやめとこう?

とも考えたが、無性に臓物を捌きたくなった。そしてそんなメンタルで臓物に触れると不思議と癒される、救われる、と感じた。

「犠牲になるのはいつも動物、人間はいつも動物によって救われる。」

その時も

古来からステップで生きてきた人々は、そんな複雑な想いやら体験をしながら動物を捌き臓物を捌き、持ち堪えていたのかなと...

そして身を持ち直し自分のすべき事を全うしようと努めていた。」

そんな、普段は考えないようなことが頭をよぎるのであった。


後で知った事だけど、7月20日はクルバンハイート(犠牲祭)というイスラムの祝日である事。

当日の朝、羊の血を流すことで、家族や親類の不幸も洗い流すといわれます。ウズベキスタンの首都タシケントでも前日から羊を売る姿が見られ、20日の夕方にはシャシリクの香りが至る所に満ちていました。

という。

この感覚は荒唐無稽ではなかったんだと思った。イスラム教を信じる以前から遊牧民にはこのような習慣があったのかもしれません。

私以上に、このような抗争や犠牲に幾度となく直面し、そのたび動物を捌くたびに心が救われてきたのではないかと。


たとえ羊を何頭捌いたところで、あの不幸はそう簡単に拭い去れない。羊で☆☆は救えない....

 

私と全く無関係なあの大惨事は、人と人との関係も変えてしまったのではないか?と思った。これが日本で起こった惨事だったら関係性が拗れたり色々変わってしまう気がします。

東京FMのある番組のDJに対する想いにも変化がありました。

自分と全く無関係なその国を想う原因はそのDJに依るもの。と#でツイートしてしまいました。

それ以来、その番組のツイート上の私のコメントに彼女からいいね されなくなったような気がした。フェードアウトされたのかも...

と不安だった。あの国(☆☆)は彼女の一部だから。そのDJは両親の仕事の関係で☆☆で過ごした期間が長く、人格形成にも影響があったものだと捉えています。

私のそのDJへの愛情が自分が思っている以上に強かったことでもあると思っています。

しかし、それ以来じわじわと 彼女は☆☆人だ。日本人の皮を被ってリスナーに共感しているフリしてるだけかもしれない...

そのうちに、あいつは基督教大学を出たクリスチャンで欧米人と似たような考えだから...

と嫌気がさすようになる。

☆☆と繋がりのあるやつ、意外と多いという事を考えさせられる。ウーダムくん(モンゴルの神童といわれた歌手)は☆☆に盗られた!というようなありえない考えになる。

ウーダムくんは北米、☆☆でも人気な為、日本なんかには全然来ないで☆☆によく行く。

以来、麦茶でも小麦粉でも亜麻仁油でも、原産地が..............。 嫌だな。

ボイコット感情やんけ!5月まではこんな感情、全くなかった。

多分コロナ、自粛のせいだ。忙しく生きていればこんな馬鹿なことを考えずに済んだに違いない。コロナの馬鹿!

5月までの自分に戻りたい。こんな偏った人間でありたくはない。

こんな内容の記事、カルガリーたんという女が書くことじゃない.........................

 

最後まで読んで頂いてありがとうございました。

 

コメント (2)
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戯言

2021年06月03日 | 日記

ごはん作ってる時に考えてた事。

いきものがかりの曲がラジオで掛かってた。

いきものがかりの歌は、どんな状況にもよく充てはまり、誰の心にも寄り添う。

「今日から、ここから」ここからスタート。これを機に動いていく。変わり始める。歩み始める。どうにかなってしまう。

 

先日、與布仁老師(モンゴル人歌手)の訃報の動画に出くわしました。

 

與布仁老師は2018年に既に亡くなっていましたが、先日亡くなられたかの様に錯覚して、悲し過ぎてしばらくの間、曲をきく事が出来なかった。

 

時が経ても、その事情に出くわしたときに、その只中に直面するんだ...と感じました。

 

何もしないでいると、色々考えちゃうので何かしてた方がいい。

 

こんなときには無性に臓器とかを捌きたくなる。

 

臓物カレーを食べる予定なので臓物を調理した。

 

臓器を触っていると何でか知んないけど、

救われる。癒される。

レバーをひとおもいに裁断する。

癒される。

 

犠牲になるのはいつも動物。人間はいつも動物によって救われる。

 

食材を乱雑に扱ってはいけない。最善に調理すべき...

 


 

色々考えたくはないけど、

ステップ=ロード(草原の道)は未だに抗争と戦乱が続いている。

スキタイ人や韃靼人が、野人との抗争の果てに無抵抗な者への暴虐の限りを尽くしていた。

 

つい50年程前にそれが起きていた...という。

 

ステップ=ロードという世界はまだ実在していて、そんな宿命なんだと色々感じました。

 

50年前ではなく、今起きたばっかの事に思えて仕方ない。

 

古来からステップで生きてきた人々は、そんな複雑な想いやら体験をしながら動物を捌き臓物を捌き、持ち堪えていたのかなと...

 

そして身を持ち直し自分のすべき事を全うしようと努めていた。

 

自分とは直接関係ある事ではないので、深く関わるべきではない。のは承知しているつもりでいる。

そんなものに足を引っ張られてる場合じゃないと自分に言い聞かせてはいる...

だから私の気分が沈むのはおかしい。

 


 

ステップロードという世界はこれを機にどう歩み始めるのか?

 

自分とは全く無関係だがいきものがかりの

「今日から、ここから」という曲が沁みた。

 

ティッピーさんが今朝のニュースとリンクするとか言い出すから、ステップロード関係かと思いきや、いきもがかりのニュースだったという。

 

スキタイ人、韃靼人というのは比喩だけど、これはある意味人間だからしょうがないという考えがよぎった。

 

西側が正義で東側が人権蹂躙をする悪なのではなくて、西側も東側も人間だからしょうがない。どっちが善でどっちが悪という考えから、これを機に世界の考え方が変わって行くような気がした。

 

日本人はこれまでは西側につかされていたが、これからは大陸側につくのか、欧米側につくのか個人で選択出来る時代が来るように思えた。

 

それでも何でかよくわかんないけど、気分が晴れない。自分と関係ないのに。

 

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オリヴィエサラダのレシピ

2021年05月30日 | 日記

《材料》

 

ジャガイモ

ゆで玉子

鶏胸肉

生のキュウリ

 

グリーンピース、牛肉、ソーセージ、トウモロコシ、人参、キュウリは塩漬けでもよい

 

《作り方》

野菜、肉類を賽の目に切り、茹でる

マヨネーズで和える

ディルなどの香草を掛ける

 

出来上がり★ミ

 

ロシアビヨンドさんからの引用によると、ヨーロッパのほか、イラン、イスラエル、モンゴル、ラテンアメリカにもこういうものがあり「ロシア風サラダ」と呼ばれる。

ロシア料理にもあり、祭日(とくに新年)の食卓には欠かせない一品。その名は「オリヴィエ・サラダ」

 

 



上に乾燥ディルをかけました!

 

こんなようなサラダ、どっかで食べたことがあるような気がする。学校の給食や定食屋とか、実家で食べたかもしれない!

とても馴染みのある味で、美味しかったです❤︎

 

 

 

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自己紹介

2021年05月02日 | 日記
はじめまして!
カルガリーと申します。

このブログは食べ歩きの記録がメインです。

殆どがロシアや旧ソ連その他中央アジアネタです!よろしくお願いします!
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