斑爾里(カルガリー)ちゃんねる

平和ボケのただの日本人が、中央アジアのネタと、日本に残る遊牧遺構の記事など書いた。

ナーダム

2024年07月19日 | 遊牧アディクト

 

今日はモンゴルの国家ナーダム2024について。

 

《引用:mongolempire_インスタ》

この時期、Xではモンゴル在住の人やモンゴル研究者などが

 

”Сайхан Наадаарай”(読み:Saihan Naadaarai)と一斉にツイートしたらしい。この言葉はどうやらお祝いの言葉らしい。

 

ナーダム関連のサイトを見たときにこれがたくさん使用されてた。

 

今年2024年のナーダムは、モンゴル国樹立2233周年、モンゴル大帝国818周年、国民の自由と独立回復113周年、人民革命103周年を祝う。

 

他人のXによれば、今年のナーダム休みはЛхагва,долдугаар сар 10 -Даваа,долдугаар сар 15(7月10日水曜日から7月15日月曜日)モンゴルでの日付、曜日の表記はこうであるらしい。

 

モンゴル国の国家ナーダムは7月11日の革命記念日にちなんで行われる。ナーダムでは、ブフ(蒙古相撲)、競馬、弓射の3つの競技が行われる。ナーダムとは、モンゴルにおいて年に数回行われる国民行事、民族の祭典である。

 

まるで日本の武士の伝統競技みたいでとても親近感が湧く。

 

ナーダムの競技はどれも軍事教練だったものだとも言われている。(抜粋: NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ @Mikiya_SHAGAA)

 

だから必然的に武士的になってしまう。

 

競馬の騎手は馬の負担を少なくするために、また通過儀礼的な意味合いもあって、子供と決まっている。(抜粋: NPO法人北方アジア文化交流センターしゃがあ @Mikiya_SHAGAA)

 

モンゴルというか、“遊牧民には通過儀礼という概念が無い“と誰かが力説していたが、実際のところどうなのだろうか?通過儀礼的な概念も社会主義時代にソ連から入って来たのだろうか?モンゴルには、古代からあったもののように見えて実は近年になって出来たものがたくさんある。馬頭琴はそれの代表格である。*カネディアン🔱は馬頭琴などという楽器は知らない。

《カネディアン🔱: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、金田(カネダ)地区に定住している人民の祖先だと考えられる》

 

 

ナーダムの始まりは13世紀チンギス=ハン👑時代にまで遡る。当時はモンゴルの建国記念🇲🇳・遊牧民の越冬・家畜の出産、またモンゴル国民にとって一番良い季節である夏が来たことを祝ったことが起源と言われている。

《参照: TECRA株式会社》

 

ある人の話によるとナーダムは匈奴(フンヌ)の時代からあったらしい。

 

ナーダムは元々オボー祭りであった。オボーとは、モンゴル族が石や木で円錐形に作った構造物。山や峠や水辺の近くに建てる事が多い。

 

モンゴル族はこれに天神地祇が降りて宿るとし(オボー自体を地祇とみる考えもある)

 

毎夏オボー祭りを行い、牛馬などの生畜またはその肉、乳製品その他を備え、五畜などの豊穣、息災その他を祈り、オボーのまわりをめぐり、かつ競馬、相撲、弓射を奉納する。(抜粋:コトバンク)

 

これがナーダムの起源とも言われている。

 

自分はモンゴル🇲🇳に行ってないが、他人のXやインスタで楽しんできたものを見ることしか出来ない。

《引用:yurts インスタ》

 

 

ナーダム開会式の様子

ナーダム大祭の開会式

 

 

お馴染みのThe Huも出演した。多分これは閉会式の時だろう?

 

 

 

 

ナーダム 相撲の動画

 

 

 

今年のナーダムではないが、ナライハという所のナーダムの競馬

 

 

弓射。2015年のナーダムの映像

 

 

 

 

いつか本当に現地に行ってナーダムを見てみたい。現実を考えると、それを実現させるのにたくさんの壁が立ちはだかる。円がこれからもっと安くなり、今以上に海外へ行かれなくなる。

 

円の弱体化以前に行けた人は幸いである。

 

最後に、今年ナーダムに行った人の動画

 

《YouTube 転載:shima 旅》

 

長文のご精読ありがとうございました😊


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