さて、今回は、自分が長年考えてきた「和」の精神とは何か?について書きたい。
10月11日。今年のノーベル平和賞に日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が選ばれた。受賞理由について「核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」と評価している。
日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、およそ70年にわたり被爆の実相を伝え、核兵器廃絶を世界に訴える活動を続けてきました。
日本のノーベル平和賞受賞は、非核三原則を表明した佐藤栄作 元総理大臣が1974年に受賞して以来、50年ぶり、2度目です。
《NHK NEWS WEB抜粋》
元記事↓
ノーベル平和賞 日本被団協きょう会見 核廃絶など改めて訴えへ | NHK
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“和をもって貴しとなす”
この言葉が表すのは、「いさかいを起こさないのが良い。」という事。「和」とは「平和」。「戦争を起こしてはならない。」という聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる。
その時代から日本では「平和」について考えられてきた。しかし実際には、更に昔から「平和」が意識されてきた。
日本は太古の昔から、国土全体危機に瀕した事は2度しか無かった。一度目は元寇。しかしそれは、壱岐、対馬と九州北部の一部だけであり、日本全土ではない。結果的に失敗に終わった。もう一つの侵攻は第二次世界大戦の米軍による爆撃。原爆の投下。これは日本国土が焦土と化した。それ以外、日本は外敵に晒される事は無かった。この数奇な運命は、世界中の如何なる地域にも見られない。
世界中の殆どの島国は、西欧列強の植民地支配に遭い、列強である英国自体が大陸から近い為、太古の昔から侵略されていた。それだけでなく、ヴァイキングという、海からの侵略もあった。大陸にある国は、言うまでもなく、陸続きの為、有事やトラブル続きであった。
日本ほど外寇に晒されない平和な国は、他を探してもどこにも存在しない。
長い日本の歴史で戦ばっかじゃないか?とも言われるが、日本の戦は、戦場で兵士が戦う事が多かった為、中世ヨーロッパや、中国、中東ほど凄惨な戦争ではなかったと言われる。現地調達。つまり掠奪といっても、現地の農民や漁民が敵味方関係なく自ら食糧を兵士たちに提供していたという。絵に描いたような掠奪は、倭族同士では起こらなかったようだ。
倭国の歴史上最も戦争が酷かった時代は、信長、秀吉の2代ぐらいの期間であった。戦場は凄惨だが、戦争に関係のない庶民は自由に暮らしていたといわれる。日本の戦国時代というのは、世界の戦争と比べると、小競り合い程度だと外国人らから言われる。中国やヨーロッパには城塞都市という、都市を壁で包囲した都市が存在するが、日本にはどこを探してもそれが存在しない。それだけ大陸の戦争というのは、外寇が酷かった。日本人は、街に住む一般人を襲撃するという事は歴史上無かった。敵の城を落とす事が目的であって、一般人を襲撃しようという発想は無かったらしい。
もう一つ特殊だと言われるのが、川のすぐ近くに定住するという事。外国人の目から見れば、これは不思議な事らしい。川蔦いに敵が船に乗って侵攻する為、近くに定住村などがあると襲撃される危険性が高いので、川の近くには定住しないのが世界の常識だという。
それで日本は、世界から「平和ボケ」だの「惑星」だの「日本の常識世界の非常識」だの言われる。
以前、自分の記事で、「日本は島国で、周辺の大陸や島嶼からの寄せ集め、烏合の衆。元はバラバラだった。それを纏めるたった一つの共通するものが“日本語”と書いたが、それは、大いなると迄は行かなくとも、勘違いであった。
日本(倭国)の外国人(非倭族)率については、鎖国直前の江戸初期に於いて、自己が倭人ではないと自認する人が僅か1%にも満たなかったと書かれていた。*但し、琉球王国と蝦夷地を除く。現在と比べると、本当に少ない割合だ。
日本は周辺の大陸や島嶼からの寄せ集めでバラバラだった時代は、飛鳥時代ぐらい迄であった。その時代は、寄せ集めの血統的にバラバラの部族が紛争していた。江戸時代にもなって、それは無かったようだ。
過去の自分の記事で、日本人はオールドカマー、ニューカマーなど、いつの時代にも人が渡航して来ていたと書いた。そして、江戸時代の鎖国までは、一日あたりなん人というレベルで常に渡来はあったと書いた。
大まかに分けると。
アンシェントカマー(太古)
氷河期→石器時代→縄文時代
オールドカマー(古代)
弥生時代→古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代
*奈良・平安は古代か中世か意見が分かれるが、大和朝廷が絶対権力を握っていた時代までを古代とする説が多い。
ミドルカマー(中世)
鎌倉時代→(南北朝時代)→室町時代→安土桃山時代→江戸時代、鎖国まで
ニューカマー
開国・明治維新→大正→昭和、戦前まで
戦後カマー
昭和戦後→昭和が終わるまで
近現代カマー
平成→令和
と書いた。
しかし、新しい研究結果の文献をネットなどで読むと、日本人の大半は、アンシェント(太古)カマーである。その次に多いのがオールド(古代)カマーで、鎌倉幕府が政権を握るようになってから、大陸や島嶼など外部からは滅多に渡航して来なくなった。遣唐使を辞めてから、大陸や半島や島嶼からの移住者が激減した。日本に移住する理由が無くなった為である。
中世、ミドルカマーの時代では、幕府が許可した中国や朝鮮半島から呼び寄せた陶芸技術者か、幕府が許可した貿易商人などは、幕府が定めた土地に居住する事は許されたが、倭人と血を混ぜる事は許されなかった。彼らは国に帰ってしまうか、独身のまま生涯を終えるかしている。
もう一つのケースは、大陸などから日本列島に漂着してしまったというのがある。*カナダ人🏹などは、これに該当する。中世倭国は入国管理がガバガバだったから、カナダ人🏹が倭国に入り込んでしまう事も可能だった。
《カナダ人🏹: 約400前に日本に渡航して来た蒙古系遊牧民。現在、カナダ集落(大元集落)に定住させられている人民の祖先だと考えられる。》
学校の日本史は、日本人の由来は縄文人と弥生人だけだと教えるが、新しい文献によれば、大まか合っている。縄文人に該当するのはアンシェントカマー(太古渡航者)。弥生人に該当するのはオールドカマー(古代渡航者)。縄文人も弥生人も単一民族では無かったが、これらを象徴して、縄文、弥生と呼んでいるのかも知れない。
日本人は、日本列島の周辺地域から寄せ集まったアンシェントカマーが長い年月を掛けて混ざり合ったグループと、その後の時代、日本に渡航したオールドカマーとが混ざって現在の日本人が遺伝子的に確立した。そして海に護られ、鎌倉幕府成立以降殆ど外から部外者が入って来る事なく純血性が保たれた。「民族」定義は民俗学者も頭を痛める程難しいが、考えようによっては日本は単一民族である。
長い年月を掛けて混ざり合い、考え方、生き方が同質、均質になった平和な環境で生きる人民は、平和的になる。しかし、日本人も人間だ。人間としての本能も原始のままである。他者への「警戒心」という本能も、原始時代から殆ど変わっていない。
日本人の大半は、アンシェントカマー(太古の渡航者)である。オールドカマー(古代渡航者)との混血も多少あるが、縄文人と言われる太古の人間の血の方が濃い人間の方が圧倒的に多数である。
クール・ジャパンと言われる要素のひとつが、日本人の「目つきの悪さ」これは本当で、日本人は、他の東洋人にはない目つきの悪さがある。
東洋人(主に北東アジア人)は切れ長な目が多いが、日本人の目つきは特殊であるという。西洋人から見ると、「サムライ」のようであり「鷹」のようであるという。日本人の目は鋭く、聡明に見えるという。日本人は平和ボケでおっとりして、ただおとなしく見えるが、目つきとのギャップにとても驚くという。日本人女性が西洋人にモテるのは、この目つきの悪さにあると言う人もいる。
この、他の東洋人とは違う「目つきの悪さ」も説明がつく。多くのアジア人や、西洋人の目には「蒙古襞」がある。内眼角贅皮(ナイガンカクゼイヒ)とも言う。上まぶたが目頭を覆う部分にある皮膚のひだ。蒙古ひだの形成は、寒冷な気候的要素の、遺伝的要素が原因だと言われる。つまり寒い地域出身の祖先を持つ民族に多く出現する。西洋人の丸っこい目の形は、目頭の蒙古襞に由来する。北東アジア人は、目尻は吊り上がり、切れ長だが、西洋人同様、目頭が丸っこい人が多い。しかし日本人はこの蒙古襞が無い人の方が圧倒的に多く、ある人の方が珍しい。
蒙古襞がない人は、キリッとした目の印象になる。日本人が、他のアジア人よりも大人っぽく見えるのは、考え方や生き方の大人っぽさもあるだろうが、このキリッとした印象によるものもある。
蒙古襞が無い原因も、縄文人(太古の人類)の要素が濃い事も関係していると言われる。本土の日本人の他に、アイヌ民族、沖縄と、台湾の先住民アミ族、中南米の先住民、北米の一部のネイティブアメリカン、北センチネル島の先住民、アマンダン諸島の先住民アマンダン人、オーストラリアの先住民アボリジニなどの、先住民という人たちと、バスク人、ケルト人には蒙古襞がない。ネイティブアメリカンの目つきの悪さも、米国白人の間で言及されている。
縄文時代は、戦乱の無い平和な時代が1万5000年続いた。現在では縄文時代の研究も進んで色々分かってきた。縄文時代は稲作もなく、鉄器などの武器も無かった。身分や格差も無かったし、主権や土地所有者も、国民という概念も無かった。
気候も温暖で、飢餓なども無かったという。更に分かった事は、縄文人は定住していた。
縄文人の民族性について非常に気になる。これはまゆつばな話だが、これもYouTube動画から得た内容。ある画家がアフリカの集落に、絵の修行に行った時の話。その集落のシャーマンが、生前、日本の縄文人をやっていたという人(霊)と霊通した。
覚えている限りを書く。
縄文人というのは、第一に、何でもキッチリと線引きをする民族である。個人主義が発達した社会を築いていた。家族や血縁者を何よりも大切にし、他人に対して忖度などをせず、周りを気にせず自由に生きていたという。
上下関係という概念が無かった。喋る事を好み、納得するまで徹底的に互いに話し合う為、戦乱に至る前に解決させていた。集団で動くという事が少なく、個と個の勝負であった。口論も殴り合いの喧嘩もよくする。しかし戦乱に発展する前に解決させていた。とてもタフで、孤独耐性に優れていた。協調性は、あまり高く無かったが、自他の線引きがキッチリ出来ていたので、足並みを揃えない人を非難する事が少なかった。協調性は低いが、喜びをシェアする事を良しとする。ノリだけは良かったようだ。
縄文人は何よりも「責任」というものを重要視していた。個人の責任を尊重し、他人に干渉する事を好まなかった。その割案外フレンドリーであった。しかし内心、他人に対する警戒心が強かったという。縄文人は、自分のテリトリー侵害される事を嫌った。
親は、子供に対して、歩けるようになり、一通り喋れるようになったら、責任を与え、一人の人間として扱った。その為、自分の頭でモノを考える事を幼少時から強いられるので、早く自立し、大人と対等に話をする。全体が一丸となって助け合いをするというより、人脈ネットワークが充実してしていた為、困った人が助かる仕組みになっていた。
らしい….
国がないって事は税金も納めなくて良いんでしょ?いいなぁ…
まぁ。実際どうだったか知らんけど、現在の日本人に共通する所もあると感じた。現在日本と社会構造が違うから、違う部分も多い。
線引きと、話し合いを好む事、他人に干渉しない事、家族を大切にする事、孤独耐性が強い事、「責任」というものを重要視している事、他人に対する警戒心の強さなどは、現代日本人そっくりであると思う。
やはり日本人は元々、クール・ジャパンである。
戦争を回避する重要な手掛かりが縄文人の生き方の中に見出す事が出来るのだろうか?
縄文時代は土地所有の概念はないし、国や主権などは無いし、喧嘩するにしても個人vs個人では戦争にはならない。では、氏族vs氏族になればどうか?口論や殴り合いで解決出来たのであろうか?鉄器でなく石器でも武器になる。
気候が温暖な時期だったというのも、戦争に発展する理由を作らないと思う。気候が温暖という事は食糧の奪い合いをすることもない。分け与えることもない。気候の良さは、個人主義でもいける。互いに干渉し合う事もない。
もし気候が寒冷になったり厳しくなってきたら、生きる為に一丸となって協調しなければならなくなる。そうなると、互いの対人距離が縮まり、人口密度も濃くなる。互いに干渉するようになり、諍いが増え、食糧の奪い合いが始まる。が、分け与えるというのも始まる。一丸となった助け合いが始まり、互いのテリトリーの侵害も始まる。
自分なりに考えた戦争が起こらない単純な結論。縄文時代にはそもそも国というもの自体が存在しなかった。
もう一つは「個人主義」が発達した社会で自給自足。集落などの団体を作っていなかった為、氏族vs氏族の抗争に発展する事はあっても、村vs村という構図が無い為、事が大きくならず、戦争まで至らなかった。
部族ほど大きくならなかったのも、徹底した個人主義によるものなのか?そこらへんは謎である。
ひとつ思うのは、縄文人は他に干渉しない民族性の為、他人に関心がない。大勢の血の繋がらない人たちを纏めて、連合を作ろうという発想は無かったのかも知れない。
せいぜい、氏族vs氏族の殺し合い止まりだったのかも知れない。これ以上エスカレートのしようがない。
経済学的な要因もあると思う。自給自足、個人主義経済。その上人口密度も非常に希薄だ。経済的に他と軋轢にならない事も戦争の火種を作らない。
自分は経済学には疎いので詳しい事は言えない。
家族や血縁と、他人という線引きをキッチリしていたのだろうと思う。他人とはトラブルがつきもの。下らない事で何かと喧嘩を売られてたのかも知れない。
日本人の根底にある「隣人に対する恐怖心」はこの頃から始まってたのかも知れない。隣人や他人に対する非常に強い警戒心ゆえに、隣人に対し、それと真逆の態度をとっていたのかも知れない。縄文人は、フレンドリーだったというが、これは「私は貴方に対して敵意はありません」という意味の態度なのかも知れない。
その頃から我々日本人は「和」を意識した行動を心掛けていたのかも。
物事にキッチリ線引きをするのは、曖昧にしておくと後々トラブルに発展する危険性があり、トラブル回避の為だとも考えられる。
納得するまで互いに話し合うというのは、争いを回避する最善の策。
喜びをシェアする事を善しとする。竪穴式住居の近隣住民と食事会とかしていたのでしょうかね。現代日本人と同じ事をやってたのかも知れない。
ノリが良い。パリピか?!
責任のなすりつけ合いは戦争の火種になる。自分の責任で生きることは争いの芽を摘む。そう思う。
他人のテリトリーを尊重し、干渉しない。この場合の干渉は、余計な口出しをしないという事でしょうか。干渉は、縄張り侵犯。縄張りを闇雲に侵犯しない事はトラブルの防止になる。
子供に責任を与え、自立させる。人格の肯定。子供の自信や自己肯定感、責任感に繋がり、その後の人生に好い影響を与える。
人脈ネットワークが充実してしていた為、困った人が助かる仕組みになっていた。程よい距離感での助け合い。
縄文人は、行動原理が「和」。トラブルが起こる事前提に物事を考えて行動している。この考えの礎となるものが、隣人や他人への過剰なまでの警戒心。トラブルが起こると、殺されると考え、最悪、自分の一族が取り返しのつかない事になると考えるのだろうか。ここまで徹底した「和」にこだわるというのは、何があってこうなったのだろう?
当時は国がないという事は言うまでもなく、警察もない。自分の身は自分で護らなくてはならない。
という事は、勝ち目がない人と闇雲に闘って殺されるよりも初めから勝ち目の無い相手とは闘わないというのが日本人的な考え方だろう。「逃げる勝ち」というのも「和」の精神。
初めからトラブルの原因を排除しようという事で、縄文人たちはこのようになったと考えられる。
縄文時代の平和は、漫然と与えられた数奇な平和ではない。縄文人は自ら平和を作り出していたのではないかと考えられる。
現在日本人の行動原理も「和」。縄文人同様、トラブルが起こる事前提に物事を考えて行動している。日本人の精神の根本には「他人への警戒心」というものがあるように思え、これは縄文の昔から脈脈と受け継がれている。
現代日本人の、他人への配慮も警戒心から来ているし、礼儀正しさも、警戒心から来ている。縄文人と形は違えど、根本は同じである。
トラブルや犯罪などに巻き込まれることを未然に防止する為に、フレンドリーになる。これが「和」の精神の根本だと考えた。
これは外国人には千年経っても万年経っても理解出来ないだろうな。
西洋人には人に対する警戒心というものが存在しない。他人に干渉し、自分が殺したければ殺し、奪いたければ奪う。フレンドリーという概念もなく、人を簡単に蹴落とす。そして人を利用する事しか考えない。日本人とは根本的に違う意味での個人主義を持つ。個人主義ではなく、利己主義。それを象徴するのが「銃社会」。拳銃とは、人から掠奪する為の文明の利器として開発された。西欧列強や常任理事国の戦争犯罪を見ていると、こう思わざるを得ない。
YouTube動画で、しかもアフリカのシャーマンが縄文霊と交流して得た情報というまゆつばな話なので、実際どうだったのか知りません。でもこれが本当でも嘘でも、凄いことである。
自分が縄文系の家系である事に誇りが持てた。私の先代は、日本の大地に元々住んでいた。この日本という天地は私のものであるという歓びが込み上がる。
世界には、これを羨ましいと思う人がとてもたくさん存在します。
今年のノーベル平和賞の日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は、長年、被爆を訴えてきた。
日本は外寇を知らない平和な国だったが、世界唯一の被爆国となってしまった。
被爆体験を訴えることによって、被爆の現実が知れ渡り、ノーベル賞によって世界に影響が出て、核兵器廃絶へ向かう事を切に願う。
日本人は縄文人同様、自らの手で世界平和を築いて行くべきだと思った。
長文のご精読ありがとうございました😭
アフリカのシャーマンの話を聞いたという画家の動画は、探しても見当たらなくなりました。消してしまったのでしょうか?
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