冬営地にはなかなか行かれない。
冬営地の候補のひとつである愛川町は遠過ぎるのと、休日に用事があるため、遠出出来ない。季節的に熊の問題があるので躊躇している。
先日オーロラの記事を書いた後、オーロラを実際に見に行ったことがある人達のブログを読み漁っていた。
どうやら「イエローナイフ」というオーロラの観光地があるらしいのだが、「イエローナイフ」って産鉄地名かも?とかテキトーな事考え始めた。
勿論、イエローナイフについてはまだ何も検索してないので、ロシア上空を飛べない今、日本からどのぐらい時間が掛かるとか全然解りません。そんな検索する暇もないが、暇人のようにアホな考えが勝手に巡っている。
「イエローナイフ」この地名を初めて目にしたが、直感的に「鉄」だと思った。
「ナイフ」は刀剣や鏃と同様に鉄器。黄色い刀剣を鍛造していたのではないかと思われる。
黄色の金属ということは黄金色。黄金色の刀剣だ。しかし黄金色なのにゴールドとはならない。
黄金(ゴールド)製ではないから、わざわざ黄色(イエロー)と称した?
てことは黄色い鉄🟡?
これは少し考えた。
黄鉄鉱?!
黄鉄鉱で刀剣を鍛造していたのではと思われる。
て事は、イエローナイフは黄鉄鉱の産出地で鉱脈もある可能性がある?
違うかもしれない。鍛造だけしていた場所かも。
と下らない妄想は止まらない。
単なる妄想なので多分全然違うと思う。
黄金は鍛造には向かない。
もしかしたら採掘や鍛造ではなく、サーミ人の伝統的呪術みたいなもので「黄色い鉄器」を使用するなどのスピリチュアル的な由来かも知れないし、比喩かも知れない。
しかし「鉄器」地名がここにあるという事はここに「鉄」文化があるという証拠だ。
以前書いた、産鉄の記事
↓
トルコのアナトリア地方で人類初の製鉄が始まった。そしてヒッタイト人へ伝わり→スキタイ→匈奴と漢に分かれる。
アナトリア地方では、「鉄」に関する姓が多く存在する。祖先が製鉄に関わってきたとの由来。
サーミ人はフィン・ウゴル系言語を話す。三角テントに住むトナカイ遊牧民である。
実際にオーロラを見に行った人のブログの写真によると、オーロラの元でサーミの三角テントが軒を連ている。
「かつてサーミ人は夜空に輝くオーロラは、北極ギツネが夜空を猛ダッシュで駆け巡り火花を放つことでできていると信じていたそうです」
《X参照: Nomadic Soul ノマディックソウル》
サーミ諸語は、ウラル・アルタイ語族→ウラル語族→フィン・ウゴル語派→ボルガ・フィン諸語→サーミ諸語
匈奴の中で北極圏に行った者は現在のフィン人、サーミ人であり、西に向かった者はフン族(マジャール人)になり、現在のハンガリー人であると、昔は言われていた。
ハンガリーの「ハン」、つまりフン族の「フン」。これは匈奴(フンヌ)の「フン」由来であるとも昔は言われていた。
サーミ人も匈奴の末裔であるとも言われていた。
フィン語もサーミ語もハンガリー語(マジャール語)も、ウラル・アルタイ語族のウラル語族である。
そしてかつては匈奴も、ウラル・アルタイ語族のウラル語族と考えられていた。
現代では研究が進められている。マジャール、フィン、サーミは匈奴の子孫とする文献もあれば、彼らは匈奴とは全く関係がないとする文献もある。匈奴はそもそもウラル・アルタイ語族ですらなく、デネ・エニセイ語族だったとする説もあった。
実際のところ「諸説ある」というのが現代の解釈である。
もしこのイエローナイフ=黄鉄鉱という妄想が外れていなかったなら、以下の事が言える。
サーミ人は匈奴の鉄器文化を受け継いでいる。サーミは世界初の遊牧帝国の後裔!その痕跡が残っている!イメージが両者で余りにも違うからそのギャップがかえってアツい🔥
サーミ人写真
《参照:Nomadic Soul ノマディックソウル》
サーミ人写真
《参照: Wikipedia》
サーミ人が鍛造する姿。想像出来ない。
サーミは見ての通り白人であり、匈奴は東洋人の見た目であっただろうと想像出来る。
サーミは元々匈奴だが西洋人と交雑してこのような見た目になったとしか思えない。
例え東洋語を話してても西に行けば行く程、見た目が白人になる。これはしょうがない。
ロシアにいるタタール人なんて、東洋語であるテュルク語(突厥語)を話していたが、見た目はロシアの白人との違いが全く分からない。
黄鉄鉱写真
《参照: Yahooショッピング》
黄鉄鉱についてググると、黄鉄鉱は硫黄と鉄で出来ている。加熱すると亜硫酸ガスが出るのと、硫黄を完全に除去するのが困難なために製鉄の材料としては適してないらしい。
硫酸の原料として使用される事は多かったらしい。
黄鉄鉱は、製鉄の材料などに適していないが、金属の精錬などに使われていたという記事もある。正確にいえば硫酸が金属の精錬に使われたという。
銅の精錬に硫酸が使われていたようです。
銅の湿式精錬では、採掘した鉱石を積み上げるなどして、上部から希硫酸を散布することで銅を浸出し、溶媒抽出→電解採取というプロセスで銅が生産されてるようですが、匈奴の時代、電解はどういう事なんだろうかと思う。
硫酸はチタン鉱石も溶解するという。あとニッケルの湿式精錬。匈奴の時代にニッケルやチタンはどうだったのだろう?
銅は鉄より昔から製銅されていた。匈奴にも勿論製銅技術はあった。硫酸を使い銅を浸出させていたという事はありえる。ただ「電解採取」に当たるものは何かしらあったのだろうが、どうやっていたのかは謎。
匈奴も、スキタイ人や後の蒙古帝国と同じように地下資源を求めて彷徨っていたのだと思う。製銅に使う硫酸を求めて、オーロラの北極圏のイエローナイフにまで足を伸ばした可能性もある。
サーミ人は匈奴帝国の中心を担って漢と戦ったりはしなかったのかもしれない。硫酸を求めて彷徨った結果、イエローナイフに辿り着き、採掘し、そのままその匈奴が定着しトナカイ牧民・狩猟民となり西洋人と混交し今に至るのかも知れない。
黄鉄鉱は硫黄を回収した残りかすを、製鉄の原料としていたこともあったらしい。製鉄の主力はただの鉄鉱石だったが、黄鉄鉱のカスもついでに使おうとなったのかも。だからサーミの経緯については一概にいえない。
イエローナイフ=黄鉄鉱という妄想はロマンあるけど多分めちゃくちゃ間違いかも知れない。
でも「ナイフ」という名称が凄く気になる。刃物というと即「鉄」を想像してしまう。
今日はオーロラからの、産鉄地名からの、倭国産鉄地名の事まで書こうかと思ったが、結局はイエローナイフと匈奴とサーミ人で終わった。
これらはあくまでも、自分が勝手に妄想で言ってるだけなので。
サーミと黄鉄鉱(硫酸)は関係あってもサーミと鉄器文化は関係ないかも知れない。匈奴の冒頓単于とサーミ人は遠い血縁関係はあっても、匈奴帝国を築くずっとずっと前に分かれた遠い親戚関係であって、サーミと匈奴帝国は関係無いかも知れない。
これらをググる暇が本当になくてテキトーな事を言ってるので鵜呑みにしないで下さい。
金属の事ばっかに偏ってしまい、歴史の話が疎かになった。こういう話は長い時間をかけての取り組みがいる。いきなり手を出すとデタラメなことを書いてしまう可能性がある。
また惰性で長々と書いてしまいました。
次回は倭国産鉄地名の事を書きたい。
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