頭の中が金属探知機になっている。
北欧のラップランドの一部、オーロラの名所にまで「産鉄」を感知するレベルになってしまいました。
倭国(日本)にも産鉄地名というのが多数存在する。
その前に*倭国の製鉄について。
倭国: 私の使う倭国とは、維新前の日本の総称。維新前は倭国であった。倒幕後新政府から日本となった。
倭国での産鉄方法は主に「野ダタラ」と「タタラ」
・野ダタラは縄文時代からやっていた。地中の隕鉄(隕石の中に含まれる磁鉄鉱)を自然の風を利用して加工する方法。
・タタラは弥生時代になって朝鮮半島経由で渡来した集団が伝えた技術。砂鉄を採取し「炉」や「ふいご」を使って人工的に加工する方法。
タタラ製鉄は砂鉄を得るため、砂鉄を含む山や風化した花崗岩などを切り崩して水流を流し、比重を利用して選り分けて砂鉄を採取する「鉄穴流し」(カンナナガシ)が行われた。切り崩された山の形を鉄穴地形という。選鉱後、土砂を下流に流した。
大量の土砂を川に流すことにより、川底が上がり洪水が起こりやすい「天井川」(川底が周囲の平地よりも高くなった川)となることや、流域の農業用水路が埋まることがよくあった。
その一方で先人は鉄穴流しの跡地を棚田に造成したり、川を流れ下った土砂を利用して新田開発を行うなど、有効利用してきた。
タタラとは踏鞴吹(タタラブキ)のことで大きな鞴(フイゴ)を足で踏んで空気を送り、砂鉄や木炭を原料として製鉄する我が国独自の技法であり、その精錬場をタタラ場と呼んでいた。
日本の産鉄地名は
「鑪(タタラ)」「オドロ」「稲(イネ)(イナ)」「黒(クロ)」「星(ホシ)」「須賀・菅・洲処(スカ・スガ)」「諏訪(スワ)」「真(サナ)」「寒(サム)」「佐倉・桜(サクラ)」「笹(ササ)」
鉄が砂(サ・ス)から派生するためでしょうか、比較的サ行に集中する傾向がみられます。
「杉(スギ)」「丹(タン)」「崖(カケ)」「龍」「芦」「七里」「釜・鎌(カマ)」「金(カナ・カネ)」「梶(カジ)」
《参照: ブログ 鎌倉遺構探索》
今回は、神奈川県の産鉄地名の一部について書く📝
神奈川県には産鉄地名が多く、鎌倉市内には産鉄地名が多いのは有名。
「鎌倉」自体が産鉄地名で、鎌はカマという刃物、或いは釜という金物、いずれも鉄製品である。倉はクロ(黒)。つまり黒とは砂鉄の色、黒を表しているという。
神奈川県の「神奈川」自体が「金川(カナガワ)」と書かれていた説。神奈川宿付近の川で砂鉄が採れたという説があるが、それが現在のどの川なのかよく分からない。
横浜市「金沢」区のカナザワも金川と同じ意味で砂鉄が採れた川がかつて存在していたと云われている。
「横須賀」「丹沢」「稲城」「梶ヶ谷」「寒川」なども産鉄地名と言われる。
(稲城市は神奈川県ではありませんでした。申し訳ございませんでした。)稲城市や狛江市は、自分の頭の中では神奈川県である。
神奈川県内にある「金」や「釜」などが着く地名は産鉄地名と言って良い。
金田(カナダ・カネダ)、金程(カナホド)、金目川、金目村(カナメ)、釜田(カマダ)なども存在する。
川崎市麻生区の「金程(カナホド)」の地名が歴史にあらわれるのは15世紀の室町時代の中期の記録からのようです。金程の金(カナ)とは金属を意味し、「金っ気(カナッケ)」の多い水が流れる所とか、鉄分の多い砂鉄の取れる所の地名によくつけられるようです。
また、「ホト」は「ホド」と読み、「火床(ホド)」を意味する言葉とも取れます。「火床」とは鍛冶屋の製鉄・鍛錬の火のことで、中世には鍛冶屋集団の単位として使われました。
一つは鉄分の多い水が流れる奥深い谷間の地。
もう一つは、鍛冶屋集団の金属鍛錬が行われた所。
これらが金程の由来かもしれません。
もう一つは
「もともとは細山村の枝郷的な地域で、多摩川と鶴見川の分水嶺に位置づく。多摩丘陵の台地上に開けた村で、畑作を主とした地域であった。
金程の地名は、村の中心が東に開けた地域で鑪(タタラ)の火口(ホド)のように見立てて、カナホドとしたと思われる。」
《参照: Yahoo JAPAN》
コレは多分、完全に産鉄地名やで!!
奥深い谷間は、産鉄地に多い。川で砂鉄を採って鍛治集団の金属鍛錬がそこで行われていた。
鑪の火口に見立てて、カナホドとつけること自体が鍛冶屋の発想だと思われる。
金程という場所は元々台地から谷間まで広範囲を指していた可能性がある。
厚木市「金田(カネダ)」も中世・戦国時代には存在した。元々は金田ではなく「船田」という地名だった。
神奈川県厚木市金田は経由地。戦国時代に記録のある地名。同地を経て1521年から1528年(大永年間)に愛知県西尾市の一色町に移ったと伝える。
ここに関してはこれ以外には情報がありません。
だから何とも言えないのですが、自分が思うに、鍛冶集団が様々な所を経由して最終的には愛知県西尾市に定着したという事だろう。
戦国時代という時代背景から、この鍛治集団は戦時下、逃走しながら分散し、逃走と分散を繰り返し、愛知県西尾市に辿り着けたのは一部の人だけだと思える。
横浜市青葉区「鉄町(クロガネチョウ)」だけは産鉄と関係なく例外であると云われているが……
鉄町は産鉄地名と解釈する人もいる。
「丹沢の“丹”とは水銀や鉄を意味し、丹のつく地名ではかつて製鉄が盛んだったり、よく砂鉄が採れたことがわかっています。丹沢山地、丹沢湖、奥多摩の奥にも丹沢山村があるので、この一帯の山は鉄が採れたことが推測できます。」
「秦野市に流れる金目川(カナメガワ)や、丹沢山地を流れる神之川などの“かな”は金属や鉄を意味していると考えられます。それらは山からの川の水流を利用して砂鉄を比重分けする“かんな流し“(鉄穴流し)に使われていた川かもしれません。」
《参照: ブログ 馬の駆ける速度で地球旅|神話から歴史を開放》
産鉄地名をググっていると、「谷戸」という言葉とよくぶつかる。
これは倭製鉄であるタタラ製鉄の特徴であるかのように思える。
鉄穴流しで人為的に作られた鉄穴地形か、天然の谷戸地形を鉄穴流しに利用したのだろうか。
川で採れた砂鉄を谷間である谷戸で鋳造や鍛治を行ったとも考えられる。
「谷戸とは、丘陵台地の雨水や湧水等の侵食による谷を指し、三方(両側、後背)に丘陵台地部、樹木林を抱え、湿地、湧水、水路、水田等の農耕地、ため池などを構成要素に形成される地形のことです。」
《参照: Wikipedia》
産鉄地名の場所は製鉄がしやすい条件が揃っている。
倭産鉄と神について。ここからは、製鉄民の信仰について書きたいと思います。
・勝手明神
勝手明神様。戦に勝つ、頭と視力が良くなるご利益がある。権力者などが所有した鉱山などで働かされた鉱夫が鉱山病の失明改善祈願に祭ったそうです。
勝手明神信仰が残るところには周辺に鉱山があったということかもしれません。
三佛寺本堂秘蔵蔵王権現立像の左には文殊菩薩様が日本の神様に姿を変えてこの世に現れたという物語を持つ勝手明神様です。
鳥取県東伯郡三朝町三朝895
木屋旅館
《参照: 木屋旅館のHP》
・虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩は製鉄民の星神で明星天子ともいう。
日本全国の虚空蔵山または妙見山と名称される山は全て鉱山である。
・北辰妙見尊
房総に仏教が伝播される以前から忌部族の産鉄信仰は星神を拝した。古神道ではその星神を天御中主命と称した。
北極星(北辰)の産鉄エネルギーを一番星に見出した時、その星神は虚空蔵菩薩・明星天子と表現される。
妙見は北極星、虚空蔵は金星。全国的に見ても妙見・虚空蔵が製鉄に関わることはほぼ間違いのないところである。
・竜蛇信仰
竜蛇信仰はもちろん製鉄民のものといってよいだろう。
熱海の走り湯温泉には地中に竜が住み、湯や煙を吐き出していると言われており、その尾は箱根の芦ノ湖まで続いていると言われている。
三浦半島のたたら浜からも近い観音崎の権現洞穴には大蛇が住んでいたと伝えられている。
江の島からも近い龍口明神社(旧跡)には五頭竜が祀られている。
・出雲地方の八大竜王
・出雲・因幡・伯耆地方では「楽々福」と書いて「ササフク」と読む鉄の神がいる。
・稲荷社
稲荷社の「稲」も鉄。「イナリ」は「鋳成」ともかく。
往時の鎌倉には谷戸ごとにお寺があったといわれていますが、もしかしたら鍛治師や鋳物師も谷戸ごとにいたのかもしれません。
《参照:ブログ 鎌倉遺構探索》
タタラ製鉄(倭製鉄)は「谷戸」
私が産鉄ネタに目覚めたきっかけは、トラス橋という鉄橋。
以降、タタールとアイアンロード(鉄の道・ステップロード)の関係
タタラ製鉄とタタールの関係
チンギス・ハーンと鉄の関係
厚木市金田地区と製鉄の関係
スキタイ人と金属加工
円墳(馬塚)と金工装飾馬具など
何かにつけて牧民と鉄の関係性が気になるようになった。
脳が金属探知機のようになり、ラップランドの産鉄地名に反応するようになり、倭国における産鉄地名にも手を伸ばすようになった。
長文のご精読ありがとうございます。
参照
《木屋旅館 公式ブログ》
《ブログ 鎌倉遺構探索》
《ブログ 馬の駆ける速度で地球旅|神話から歴史を開放》
《ブログ 谷戸めぐり》
《新百合ヶ丘が好きになる発見サイト ロコっち新百合ヶ丘》
《出雲國たたら風土記 鉄の道文化圏》
《Yahoo JAPAN》
《金田・姓、地名の由来》
《Wikipedia》
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