日本に於ける遊牧部落の跡地を探している。
遊牧部落とは、家畜を携えた遊牧民や、家畜を失った遊牧民が大陸から日本海を越えて日本に辿り着き、首長を筆頭に定住した集落を指す。
もしかして…..元寇部落ってあるの?!
という事でググった。
佐賀県 神埼市 尾崎部落が元寇部落らしい!!
尾崎人形という土で作った人形がある。
伝承によると元寇(弘安の役)の際、捕虜になった蒙古軍の兵士が故郷を偲んで人形を作り吹き鳴らしたのが始まりと言われているが、
この人形、モンゴルにもあるの?!
息を吹き入れるとホーホーと素朴な音が鳴る土笛になっていたり振るとコロコロとかわいらしい音が鳴る土鈴になっていたりする。
吹くときに口にくわえる部分に着色しないのは、「土のものを口につけると癇封じの効果がある」
との説があり、子供の健やかな成長を祈る願掛けの意味もある。
この言い伝えも本場モンゴルにあるのかな?
本当にモンゴルに土製の人形と、この言い伝えがあるのか検証してみたい。と言っても実際に行って確かめるのが一番いいがまずはネットだけで調べてみます。ネットだけググって判断すると、大いなる勘違いのウィニペグやサスカトゥーンその他のように表面上の判断になります。
いつか実踏出来るといいな。
モンゴルに行ってみたい九州にも行ってみたい。
佐賀県神埼市尾崎部落をググってみた。
左上↖︎にある”天山“の方が気になる。
九州は関東などに比べ渡来牧民、渡来元牧民に関連する痕跡や遺構が多そう。
尾崎部落には尾崎焼の起源を伝える伝蒙古屋敷と蒙古合戦恩賞地がある。地区の南西部には蒙古合戦の捕虜となった蒙古人を連れてきたとされる「蒙古屋敷」と呼ばれる地区が伝えられている。
尾崎の地は、皇室領荘園神埼荘内に位置し、蒙古合戦の恩賞地として永仁5年(1297)河野通有に「神埼庄内小崎郷内荘餘残分 同庄内荒野分」を給付されている。
この河野通有は弘安の役の際の戦功と活躍で知られている人物で、伊予国御家人で、弘安8年 (1285)には筑前国弥冨郷の替所として「肥前国神崎庄内小崎郷」を当てがわれている。
これらの記録より、尾崎と河野氏の結びつきが確認 され、伝承として伝えられている「蒙古屋敷」の地は、尾崎の地に領地を得た河野氏に関する屋敷地ではないかとも考えらる。
現在、蒙古屋敷の伝承地は、南北方向の土塁状の高まりが残るだけで全体構造は不明。周辺部の畑には、非常に多くの土器が散乱しているらしい。
元寇部落は河野氏が捕虜を屋敷に監禁し、倭人の小作人に農業労働をさせていた集落だったのだろうか?
それとも屋敷に監禁せず平面的に住まわせ、武士として鍛錬していた「蒙古村」という形だったのだろうか?
伝承だから何とも言えないが、伝承があるというだけでも凄い。
遊牧アディクト的には非常にビリビリくる!!
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