かんちがい

、かも知れないけど、思いついたことを書いていく、ヤマサキタカシの日記です。

虐げられたアニマ

2020年11月05日 | Weblog
最近、劇場版「鬼滅の刃」が大人気のようですね。
私はまだ映画は見ていないので、全くもってガチのファンではないのですが、昨年放映されたアニメ版は楽しく見ておりました。

人気の理由はたくさんあると思いますが、ここでは「アニマとアニムス」という観点から、素人ながらに考えてみたことを書いてみたいと思います。


なるべくネタバレにならないようにごく簡単に「鬼滅の刃」のあらすじを書いてみると、主人公の炭治郎が鬼になってしまった妹を人に戻す方法を探すためにめっちゃ頑張る、という話です。

鬼というのは、ゾンビとヴァンパイアを合わせたような感じですかね。

その妹、禰豆子は鬼になってしまったので、万が一にも人を襲わないように竹の口枷をさせられています。また日光に弱いので、日中は兄の背負う木箱の中に縮まって入っています。


(画像は拾わさせていただきました)


このイメージはなんだか、現代社会の「虐げられたアニマ」の特徴を表しているなぁと思います。


もともとは、アニマというのは男性の中の女性的な心理、それに対して女性の中の男性的な心理のことをアニムス、とユングという心理学者が名付けたものです。

それに対して男性の男性としての人格、女性の女性としての人格のことを、ペルソナ(仮面)と呼んでいます。

ちょっと乱暴な感じですが絵にするとこんな感じでしょうか。



ただ現代では、男性と女性の心理的な境界線がユングの生きていた時代よりもかなりあいまいになってきており、ペルソナという概念もあやふやになっていると思います。

アニマをペルソナとしている「草食系男子」や、アニムスをペルソナとしてバリバリ働いている女性もいることでしょう。
ですので、今回は

アニマ=優しさ、おおらかさ、感情
アニムス=強さ、厳しさ、論理

としておきます。
が、ついついアニマ=女性らしさ、アニムス=男性らしさとして書いてしまうことをお詫びいたします。

いずれにしても、心理的に100%男性・100%女性という人はまずいなくて、表に出ているにしろ裏に隠れているにしろ、いろいろな要素を人は持っているということでしょうか。


そんな中、自分の中のアニムスに気づきはじめた女性について河合隼雄先生は「実際、自分の女らしさを殺し、新聞の意見で身を固めた女性ほど、男性に敬遠されるものはあるまい」と書いています。

これは乱暴に言うと、小学校のとき時々いた、
「あー、山崎くん、いけないんだー、先生に言っちゃおー」
っていう女の子に近いのではないかと思っています。

最近の世の中はまさにこの「アニムスに気づきはじめた女の子」と似たものを感じます。
以前からそういう気配は色濃くなってきていましたが、特にコロナ以降、加速してきているように思います。

コロナにしても政治にしても、自分の意見に固執して他の意見を尊重しようとはしない人たちが増え、「分断」が大きな特徴になっているように感じます。
(私も反省すべき点は多いのですが)

この「断つ」という行為は、アニムスの一つの特色とされています。

逆に、柔らかさやおおらかさといった社会におけるアニマは、口枷をつけられ、虐げられているような状態です。

そんな社会にバランスの悪さを感じている人たちが、禰豆子に、そして妹をなんとか鬼から人に戻そうと頑張る炭治郎に無意識のうちに心を動かされるのかもしれません。

もちろん、あまり深く考えなくとも、普通にお話として鬼滅の刃は面白いですけどね!


河合先生によると、アニムスに気づいた多くの女性はそれからさらに精神的に成長することによって、うまく自分の中のアニムスと折り合いをつけて、バランスのとれた人になっていくとのことです。
例えば、歴史の重大な局面で、時に情けない男たちよりも「男らしく」行動した女性は枚挙に暇がありません。

また、そのまま大人になり「教育ママ」になる人もいれば、アニムスに気づくことなく可愛らしいまま一生を終える人もいることでしょう。

なんでも許されたバブル期はとうに過去のものとなり、我々は社会としてアニムスに目覚めてしまった以上、ここからさらに優しさやおおらかさを見つめ直すことができるかどうか、正念場といったところでしょうか。


社会的なことを書きたかったので、あまり他意はないのですが、自分のことを棚に上げて女性の精神的成長ばかり書いてしまったかもしれません。

まだまだアニマとアニムスに関しては書きたいことがあるのですが、今日はここまでにしておきます。
素人心理学にお付き合いいただきありがとうございました!


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