龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

玉春日引退相撲

2009年05月30日 | 春日館道場
半年後、ずいぶん先の話だと思っていましたが、あっという間にこの日がきてしまいました。

平成21年5月30日(土)、玉春日引退楯山襲名披露大相撲です。

国技館の前には、開場の午前11時前から小雨の中、長蛇の列ができています。
国技館の中は、1階の枡席は、ほぼ満員。二階は満員ではないですが、3分の1ぐらいは入っていました。たぶん全部で約6千人ぐらいではないかとのこと。

戦後最悪といわれる景気のなか、玉春日関のためならと地元愛媛からもたくさんの人、東京からも中央大学関係者や他にもたくさんの方にお集まりいただきました。


ふれ太鼓、幕下決勝五人抜き、初っ切り、十両土俵入り、相撲甚句、十両取り組みの後に加戸愛媛県知事からスポーツ特別功労賞の授与がありました。 ▽


続いて、地元の西予市野村町から玉春日郷土後援会の井関満永会長のご挨拶


意外と会場が盛り上がったのが、中央大学応援歌と校歌斉唱
中央大学応援部が、生バンド(吹奏楽部?)と応援チアガールの若々しい溌剌とした応援に魅せられました。

スタンディングオベーションさながらに、観客席の中央大学のOBと思われる中年から高齢者までが、自発的にすくっ、すくっと立ち上がりはじめて

「ちから!ちから! ちゅうお~!」「ちゅうお~!」の大合唱。

これには感動しました。kirakira

校歌ってのはいいですね~


いよいよ断髪式、300余名がハサミを入れました。「朝青龍は本日、休場!代わりに高見盛が2番行います。」というアナウンスがあったので、客席からはため息が漏れていましたが、力士会を代表して朝青龍が締め込み姿で登場すると最高の盛り上がり。(相撲の取組は行わなかったが、横綱土俵入りも行った。)

片男波部屋の後輩、玉乃島関がはさみをいれました。


そして最後に片男波親方が最後のはさみを入れて、大銀杏のたぶさは切り落とされました。


幕内の取り組みがすべて終わってからは、地下の大広間で祝賀パーティーです。
玉春日関の髪もきちんと整えられて若々しくなりました。
この後ろ姿の女性は、玉春日関のお母さんです。

いつも私をみると「龍山さん、いつもお世話になります。」と近寄ってきてあいさつしていただきます。きっと私だけではなくすべての人に対して、そうなのだと思います。


祝賀会会場の外のロビーには、二所一門の力士たちがそろっており、みんな異様にデカイので迫力があります。

そんな中、ある幕内力士が私に近づいてきて、「こんにちは!」というので、「こんにちは!」と言って目をそらしたのだが、なおも近寄ってきて「龍山さん。ぼくのこと、覚えてますか」と私の目をギロッと見据えてきた。

覚えていないわけがない

私が36歳の時に彼は大学生。全日本相撲選手権で対戦し、ぶちかましで土俵下まで吹っ飛ばしたのだが。あの時、立ち会いに当たってから、一回いなして、再度、頭でぶちかましたのが、彼の側頭部にあたり、たぶん彼は脳しんとうを起こしたのだと思う。

まさか、ここであの時の借りを返そうというのか?

祝賀会会場で大乱闘?!(プロレスならそんなのも有りかもしれないが・・・。)

そこに大学の先輩が近づいてきて 「そういや、うちの高校の選手が *+$#$%&’!”`P#・・・。」 話が横道にそれた。良かった。

しかし、たった一度対戦しただけなのに幕内力士になっても私のことをちゃんと覚えているのだと逆に嬉しかった。きっと36歳のオヤジに負けたのが悔しかったのだろう。

あの後に続く言葉を聞きたかったような、聞きたくないような・・・。


この写真は、マゲを切った楯山親方とのツーショット。
これからは、人前では「親方」と呼びます。

がんばれ!楯山親方


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